雲南をたゆたう その2

「いい日旅立ち」を、1番だけで構わないので、きちんと歌えるだろうか? 帰国してから周りの友達に試してみたけど、みんな揃って「♪いい日旅立ち〜」から歌おうとする。これはサビなので、まもなく行き詰まる。生まれてから何十回と聴き、幾度となく口ずさ…

雲南をたゆたう その1

脚の長さと強さだけは自信のある僕ですら音をあげるほど広大な「雲南民族村」は、雲南省の中心・昆明にあるテーマパークだ。敷地面積は120haというから、東京ディズニーランド(51ha)とシー(49ha)をあわせても及ばない。 中華文明の心臓部か…

思い出のサンフランシスコ、とは言うけれど

「まさに傷心旅行ですね」なんてからかわれながら、9月頭に一週間ほどサンフランシスコへの旅に出た。「正しい男はいつも傷を負ってるのさ。それが疼くか疼かないかだけでね」と自分でもよくわからない答えを返しながら、土産話を続けようとして考えこんで…

マレー半島きたみなみ その4

香港に隣接する中国の深センは、蠟小平の「改革開放」の掛け声によってほとんどゼロから作られた街で、きれいに縦へ横へと整備された道路、中心部にそびえ立つ高層ビル群と、郊外に広がる画一的な団地や工場に、ゲームの「シムシティ」で作ったような感じを…

マレー半島きたみなみ その3

午後11時、ようやく着いたタンピンの駅で僕が何をしたかというと、湿ったTシャツやらトランクスやらハーフパンツを取り出し、ベンチに干すことだった。これには説明がいる。 旅先では観光名所を制覇しようとあれこれ詰め込んでしまうものだが、灼熱の太陽…

マレー半島きたみなみ その2

その晩はガイドブック曰く「車で1時間ほど離れた」タンピンという街の駅から、夜行列車に乗らねばならない。港町は闇に包まれ時刻は午後8時。まずは町外れにある長距離バスターミナルまで17番の市バスで戻らねばならないのだが、バス停が存在しないので…

マレー半島きたみなみ その1

もうすぐ引退してしまう旧型スカイライナーで上野に戻ってきて、銀座線に乗り換えるとゾッとした。みんな同じような顔をしていて、気持ち悪い。もちろん僕だって典型的な大和民族顔だし、一日もすれば慣れたのだが、マレーシアやシンガポールのような多民族…

満州まぼろし旅行 その4

長春(新京)は満州国の首都だったこともあって、関連の建物も多い。日本の国会議事堂に似た旧国務院が、看板は出ているのに入り口に瓦礫が積んであってどうやら改築工事中だったのは中国的ご愛敬(予告なしの休業や移転はよくあることです)として、軍事部…

満州まぼろし旅行 その3

中国でいらないもの大賞をしたら、かなり上位に食い込むのが、ロータリー型交差点だろう。ヨーロッパには多いが、日本では見かけないし、中国でも北京や上海にはあまりなかった(その代わり立体交差が多い)ように思う。 ところが満州の開発にあたって、近代…

満州まぼろし旅行 その2

中国の鉄道員のサービスには定評がある。 今年の正月北京駅でのこと。ずらり数十並んだ窓口に列車番号と行き先を書いて渡すと、一人目のおばちゃんは紙も見ずに投げ返す、二人目は紙を見て差し戻し、三人目は紙を見てパソコンを叩いて「没有=ないよ」、四人…

満州まぼろし旅行 その1

僕ら日本人にはクラシックホテルへのあこがれがある。 御茶ノ水の山の上ホテルや日光の金谷ホテルなど、建物は若干古びているもののそれも時代を経た気品と思えば魅力的で、スタッフのサービスは往年と変わらず超一流。宿泊客にもそれなりの品格が求められる…

続・ヨーロッパ胃弱日記 その3

ベルリン都心から郊外電車で二十分ほど、世界陸上が終わって、祭りのあとといった感じのオリンピック・スタジアムを観に行った。ヒトラーが威信をかけた1936年五輪にあわせて造られた会場であり、その時の様子は沢木耕太郎の『オリンピア』(集英社文庫…

続・ヨーロッパ胃弱日記 その2

一方、チェコのプラハは、歴史を静かに積み重ねたような街だ。建物は同じような高さの石造り、屋根がレンガ色に統一されているので、誰かが一気に造りあげてそのまま残されたように錯覚してしまうが、見る人が見れば時代ごとの流行の様式が反映されているら…

続・ヨーロッパ胃弱日記 その1

ベルリンは都市圏人口500万人、ヨーロッパ有数の大都市である。だが、フランクフルトで乗り換えて1時間ほどのフライトで着いたベルリン・テーゲル空港は、ずいぶん小じんまりしていた。大きな空港では到着してからえんえん歩かされてやっと荷物のピック…

サイゴン日記 写真編

サイゴン日記 その3

熱帯の夜は、なんでこんなに楽しいのだろう。 オープンカフェで生ぬるい夜風に身をさらしながら通りを眺める。共産国と思えないようなケバケバしいネオンが遠く輝いている。 わずかなバス路線以外に公共交通の存在しないサイゴンには、「ベトナム・バイク共…

サイゴン日記 その2

感心している場合ではない。迷惑だし不便なので、現地人に化けてみることにした。 日本から白い半袖シャツにGパンとスニーカーという出で立ちで到着したのだが、どうやら熱帯でその格好は目立つらしい。というわけでぼったくりで名高いベンタイン市場に出向…

サイゴン日記 その1

サイゴン滞在初日は、とにかく声をかけられた。 午前8時半、9月23日公園付近。43歳のバイク乗り。「1時間5ドルで案内する。中華街のチョロンまで行ってみないか?」と日記帳らしきモノを取り出し、日本人観光客の書いた「この人は信頼できる」という…

美しき島、麗しきテツの旅 その5

台北・上海・香港・北京と、中華文化の都市を5年かけて集中的にまわり、再び台北に戻った。「中国が好きなんですか?」と問われれば、金と休みを使ってこれだけ足を運んでいるのだから嫌いではないのだろうけど、あまり楽しくもない。ただ、東アジアにおけ…

美しき島、麗しきテツの旅 その4

台湾を初めて訪れたのは、大学を出て会社に入るまえ、川は海に出る直前に流れをゆるめるが、ちょうどそんな時期であった。市の研修旅行でバンコクに行ったことはあったが、ひとりで海外に行くのは初めて。にもかかわらず十日近く滞在したのだから、勇気があ…

美しき島、麗しきテツの旅 その3

表日本・裏日本という言い方があるが、台湾も発達しているのは島の西側で、首都の台北、南部の中心・高雄をはじめ、台中、台南など主だった街はすべて西の台湾海峡側にある。一方、島の東部は発展からやや取り残された格好だ。 ただ、旅人にとって日本海側が…

美しき島、麗しきテツの旅 その2

新幹線が現代鉄道技術の最先端だとすれば、百年前の最先端が、この阿里山森林鉄道である。 阿里山というのは台湾中央に位置する海抜2500メートル級の山系であり、この木材を運搬すべく、日本の台湾総督府が鉄道の敷設を決めたのが1903年(明治36年…

美しき島、麗しきテツの旅 その1

新幹線の楽しみは、乗るよりも見るところにあると思う。 わざわざ台湾まで乗りに行って、そんなこと言うのもおかしな話なんだけど。 台北駅の地下ホームを9時06分に発車したこだま(各駅停車)タイプの左営行きは、十分もしないうち板橋駅に着く。発車す…

中華の都で暮れ正月 その4

中国の食べ物はきわめて安い。ひとり旅だとファストフードが楽なので、好んで入った「李先生」という全国380店舗展開のチェーン店は、麻婆豆腐丼とスープの定食で80円ほどだし、別の店で朝食べたワンタンと豚まんはその旨さにしてわずか70円ほどだっ…

中華の都で暮れ正月 その3

昨年は、改革開放のスタートから30年という節目で、北京の繁華街・王府井の路上では写真展などが開かれており、多くの人が立ち止まって眺めていた。中国が祝う正月は太陰暦の旧正月なので、僕の滞在した年末年始はいつも通りなのだが、それでも大晦日のテ…

中華の都で暮れ正月 その2

不便な場所にある万里長城にはツアーバスで行くのが普通なのだが、偏屈という宿痾を抱える僕は鉄道で行くことにした。地下鉄西直門駅を降りると目の前にガラスで覆われたモダンな北京北駅…はあいにくまだ建設中で、脇のゴミだめのような砂利道を歩くと、掘っ…

中華の都で暮れ正月 その1

天津駅のトイレに入った僕は、脳をつんざくアンモニア臭にクラクラした。 十数個ある小便器の半分は、陶器が割れたり配管が外れたりして、使用中止となっている。小便器がこれほど故障するものだとは知らなかった。向かいに並んだ個室では、扉を開けて大用を…

新年の挨拶

社長の挨拶って、なんでこうもつまらないんだろうか。 今週はおおかたの出版業界の方々と同様に、日販・トーハン・栗田と新年会を回り、いろんなお偉いさんの挨拶を聞いた。何百というお客さんを前に堂々と話す姿にはさすがトップだなと思ったが(後輩の結婚…

たかが香港 その3

香港へ旅した人は当然のようにマカオへ足を伸ばすらしい。ポルトガルの旧植民地として残された古きヨーロッパ風の街並みは女性を惹きつけるのだろうし、ギャンブル好きな男なら東洋唯一とされる豪華なカジノが魅力だろう。まして香港のように史跡に乏しいと…

たかが香港 その2

香港の街中をあてもなく彷徨っていると、露店の多さに驚かされる。有名どころでは雑貨を扱った廟街や女人街のナイトマーケットにはじまり、洋服や小物を扱った花園街、古いガラクタを扱ったキャット・ストリート、生鮮食料品を扱った青空市場、クズやボロを…