マレー半島きたみなみ その4

 香港に隣接する中国の深センは、蠟小平の「改革開放」の掛け声によってほとんどゼロから作られた街で、きれいに縦へ横へと整備された道路、中心部にそびえ立つ高層ビル群と、郊外に広がる画一的な団地や工場に、ゲームの「シムシティ」で作ったような感じを受けた。マレーシアの最南端・ジョホールバルで列車に乗り込んできた出国審査官のパスポートチェックを受け、コーズウェイをわたったウッドランズで入国審査を済ませ(どちらか一方で済まないのかと思うが、マレーシアに飲み込まれることを恐れるシンガポールがあえて面倒にしているのではないか?)、シンガポールに入国した僕は同じような人工都市の印象を抱いた。


 もちろん乾いた街である深センと違って、シンガポールは空いた土地があれば緑で覆われ、国全体が森林公園のようだ。中心部を歩いていても混沌や猥雑さを感じない。日本語を含めた数ヶ国語で表記された案内標識があちこちに見られるし、地下鉄やバスのネットワークはよく整備され、東南アジアのほかの国ではまともに機能していない歩行者用信号も健在だ。海外を旅したことのない僕のおふくろを放り込んでも、ほとんど不自由しないのではないだろうか。
 
 世界三大ガッカリの一つと揶揄されるマーライオン(僕は暗くなってライトアップされたものを、しかも水上から眺めたためか、そもそも期待値が低かったためか、あまりガッカリすることはなかった)の鎮座するシンガポール川の河岸に立ってみてほしい。国際的な金融機関や大企業のビルが高さとデザインを競うように立ち、リバーサイドに連なるテントは世界各地のグルメを集めたオープン形式のレストランで、身なりのきちんとした男女が食事を楽しんでいる。現代都市の上澄みだけを集めたような光景に、僕ら日本人は「あぁ、なんて自分はゴミゴミした街に住んでいたのか」と嘆くことだろう。


 帰りは36番のバス(当然のごとくギアはオートマチックである)に乗って空港に向かった。郊外の住宅地を経由するのだが、この都市国家の恐るべきところは、中心部で圧倒された完璧主義が国土を覆っていることである。マンションにしても日本の団地のような野暮ったいものではなく、一棟一棟が現代建築のテキストに載りそうなお洒落さだし、空き地があればそこを芝生と木々で埋めざるを得ない。それは強迫観念といっていい。おそらく単位面積あたりの芝生消費量はぶっちぎりで世界トップだろう。

 シンガポールは19世紀初頭にイギリス人ラッフルズの開設した自由貿易港からその歴史を始めているが、その長くない年表すらシュレッダーにかけ、保存を決めた一部の建物(ラッフルズ・ホテルとかシティ・ホールとか)を除いては全てをここ十年、二十年のうちに造りなおしたかのように思える。潔癖さとモダン志向はもはや病的といってよい。

 息苦しくなっていつものチャイナタウンに救いを求めたが、あの華人ですらこの国では飼いならされているようで、街は整然としている。だいたい静かに語り合っている中国人なんて中国人ではない。帰りにトランジットで香港に立ち寄った際、マシンガントークをあちこちで繰り広げる様子を見て、懐かしさに涙したくなった位だ。


 困り果てた僕は、サルタンモスク裏のアラブ・ストリートにたどり着いた。そこに立ち並ぶ商店の、ドレスにアクセサリー、カーペットなどの色彩の見事なこと! アラブ人というと十年位前まで上野公園で違法テレカを売っていたような印象しか持たなかったけど、本来彼らは豊かな文化をもち、さらには海を渡って東と西を結ぶ貿易の民だった。その良質な部分と、シンガポールの持つ現代性がブレンドされて、僕を陶酔させる。折りしも夕暮れの祈りの時間らしくモスクから響いてきたコーランが新たな旅にいざなうようだ。アラビアを訪れてみたい。官能あふれる色使いの源を、たとえ今枯れ果てているにしても、一度見てみたい。ああ、もはや悪癖となった旅なんて異動を機にやめようと思ったのに! 心を入れ替えてちゃんと働こうと思ったのに!