雲南をたゆたう その2

いい日旅立ち」を、1番だけで構わないので、きちんと歌えるだろうか?
 帰国してから周りの友達に試してみたけど、みんな揃って「♪いい日旅立ち〜」から歌おうとする。これはサビなので、まもなく行き詰まる。生まれてから何十回と聴き、幾度となく口ずさんできた曲なのに、素ではなかなか歌えないものだ。カラオケに頼り切って軟化した頭脳からは、歌詞がほんとうに出てこない。
 それを、わが国から遠く離れた雲南省の西方、洱海という静かな湖の畔で、女の子に歌ってほしいと頼まれるのだから、日本人旅行者も楽ではないのだ。

 その子と出会ったのは、雲南省の北西、麗江という町でのことだ。
 ナシ族が800年ほど前に築いた古い町は、世界遺産に登録されている。小高い丘に登って見下ろすと、ぎゅっと密集した家屋の瓦屋根が波打つさまは、新鮮な魚のウロコを見るようで、美しい。ただ、それは遠くから眺めればの話である。
 中国人の悪い癖で、観光地となると風情も情緒も取っ払い、とことん開発してしまう。おかげで麗江の古い町並みも、歩いてみれば飲食店と土産物屋と宿が集まったうるさい場所に過ぎない。
 嫌気が差して、町の北に聳える玉龍雪山を目指すことにした。麗江の町は標高2400mだが、雪山の最高峰は5596m。登頂する装備も体力もないけど、ロープウェイで4506mまで行けるそうだ。富士山よりはるかに高い場所へ簡単に登れるのだから、中国恐るべしである。
 雪山へ向かうバス乗り場は「紅太陽酒店(ホテル)前」にあるとガイドブックに書かれているのに、肝心のホテル前の道路は工事のまっ最中だ。この国の常として、「どこそこに移転しました」という親切な看板や張り紙は当然ない。あたりを歩き回って、30mほど離れた路地に駐まったワゴン車に「雪山行」の表示があるのを見つけて乗り込んだ。
 雪山に近づいたところに設置された料金所でバスは止められた。ガイドブックにも入山料として一人80元(約1000円)徴収されるとあるのだけど、やってきた係員が何やら難しそうなことを説明している。僕のへっぽこ中国語ではまったく聞き取れないし、向こうは向こうで地方の下っ端役人に過ぎないのだから英語など通じない。互いに困っていたところで助け船を出してくれたのが、北京から来た燕儿(エンル)である。

 結局、彼女の通訳によって、係員の言いたいことが分かった。「一番高いところへ行くロープウェイは風が強くて運休だが、途中まで行くことは出来る。それでもお前は高い金払って(注:80元といえば大金で、泊まったユースなど一泊50元だ)入山するか?」
 言葉は通じず、おまけに案内看板も少ない場所での行動に不安を覚えた僕は、一人旅をしている燕儿に、金魚の糞として付いていくことにした。話を聞くと彼女は同い年で誕生日は20日違い、内モンゴル自治区の出身、北京の大学で国際ジャーナリズムの修士号を取得したが、今は銀行に勤めているという。英語が流暢なのはブリュッセルへの赴任経験があるからで、まあ、文句なしのエリートである。
 燕儿とはその後3日ほど旅を供にしたのだけど、僕がいつも会う中国人とはずいぶん違った。賑やかな場所や派手な場所が苦手で、宿も麗江から離れた束河という静かな町に取っているほど。お酒もタバコもやらない。趣味はラテンダンスや水泳で、好きな音楽は小野リサ。ドラマは「フレンズ」や「プリズンブレイク」を観る。一人旅が好きで、トレッキングなどのアウトドアを楽しむことが多いという。
 燕儿のセンスはとても都会的で、欧米のライフスタイルを大切にしている。今は一握りの進んだ若者たちの感覚に過ぎなくても、経済発展と数十年単位の時間経過によって広がるのだろう。改革開放の荒波は、中国人の騒々しさすら流し去ろうとしているのだろうか。


 燕儿は日本も大好きで、東京や北海道を訪れたこともあるという。こんどは「納豆」に行きたいというので、よくあんな粘りけのあるところに行きたがるなと思ったけど、ちゃんと聞くと伊豆のことだった。
 中国人の好きな日本人として、高倉健のほかに山口百恵があげられる。燕儿もその例にもれず、「伊豆の踊子」を観て感動したらしい。「赤い」シリーズの再放送などが人気を博しているけど、歌は知られていないそうだ。
「日本では歌手としても人気だったんだ」
「試しに一曲聴かせてよ」
「でも歌詞の意味が分からないんじゃない?」
「じゃあ手帳に訳を書いて」
 歌詞を思い出すのも大変だったが、英訳はもっと困難である。「過ぎ去りし日々の夢を叫ぶとき/帰らぬ人たち熱い胸をよぎる」なんて、僕の乏しい英語力ではとても立ち向かえない。辞書もない。結局、帰国してからちゃんとした翻訳を贈る約束をさせられた。
 燕儿とはしばらく旅を供にした。夜中の大理駅で、昆明行きの夜行列車を待っているとき、彼女は呟いた。
「この国は変化が早すぎる。かつては役人、ちょっと前は金融業がもてはやされていたけど、十年二十年経って自分がおばさんになったときに、どんな仕事について、どんな生活をしていればいいのか、ぜんぜん分からないの」
 高度成長する中国を僕たちはうらやましそうに眺めるけど、彼らにとっては戦いのまっただ中で悠長なことを言ってられないのかもしれない。上るだけ上ってしまって、あとは下り坂という日本の若者と、何になればいいのかという悩みだけは同じなのだが。