12月31日 木曽路編

 豊橋5時59分発の東海道線区間快速は、飯田線ノロノロ運転と同じ会社とは思えないほどスピードを出して名古屋方面へ向かう。豊橋と名古屋はJRと名鉄が運賃や時間で激しい競争をしているためだ。本来は飯田線だって飯田と新宿や名古屋を結ぶ中央高速のバスと競争関係にあるはずなのだが、単線で急カーブの続く飯田線と100キロで飛ばす高速バスでは勝負にならず、さじを投げた格好である。何ごとにもライバルは必要だが、その力が違いすぎると何にもならないという好例になっている。


 大府で下車して、知多半島の東側を走る武豊線に乗る。名古屋から20キロと離れていないのに、電化されていない。東京でいえば武蔵野線南武線ディーゼルカーで走っているようなものだ。もともとは中央本線東海道線の建設資材を武豊港から運ぶため、明治19年に通された由緒ある路線なのだが、役目を終えてしまえば用済みとして軽く扱われるのが運命で、知多半島には便利な名鉄電車が通っていることも災いして、ローカル線に転落してしまった。
 4両のディーゼルカーは田畑の中を走る。右手の少し離れたところに住宅地が見えるのは、国道が走っているからだろう。愛知県はトヨタの本拠地だけあってクルマ社会で、大きな駐車場を併設した郊外型のショッピングセンターがいたるところに見える。
 それでも亀崎あたりからは家々の軒先を掠めるようにして走り、沿線の中心都市である半田につく。立派な港があって工業都市として栄えているほか、酢の醸造などが有名で、ミツカンの本社もここ半田にあるという。


 武豊まで往復して名古屋に着いたのが8時27分。スケジュールの都合上、次は8時46分発の中津川行きに乗るつもりだが、朝から何にも食べていないので、そばでも腹に入れておきたい。ただ、名古屋駅は一度しか降りたことがないので、勝手がわからない。、トイレに行ったり、店を探してうろうろしているうちに発車時間が迫ってきた。
 あきらめて中央本線の乗り場に向かうと、ホーム上のコンビニで名古屋弁当なるものが売っていた。値段も500円と手ごろなので、物珍しさに買ってしまう。車内で開けてみると、ご飯のおかずに、エビ天や串かつ、ミソ味のおでん等が入っている。もっとも所詮はコンビニ弁当で油っこく、しょっぱいだけ。今回の旅は、どうも食べ物に恵まれていない。


 終点の中津川で、松本行きに乗り換える。10時33分着の南木曽で下車。駅前にとまっていたおんたけ交通の路線バスで、妻籠へ向かう。
 妻籠中山道の宿場町で、鉄道が通らなかったために近代化から取り残されていたが、それを逆手にとって木曽路の古い町並みを保存・復元し、現在では観光地として賑わっている。もっとも今日は12月31日、路線バスで妻籠を訪れたのは僕一人だし、車もまばらだ。と、駐車場に大型の観光バスが入ってきて、老夫婦や家族連れが降りてきた。人のことは言えないが、大晦日に観光ツアーとは物好きなことである。
 妻籠には10年前、中学の修学旅行で来たことがある。もっともサルと変わらぬ中学生に歴史の味わいがわかるはずはないし、その時は観光客も大勢いたのでたいした印象はなかった。今日は人が少なく、雪もうっすら積もっていて、旧い宿場町の情緒が出ている。しかも山国の空は晴れていて、雪の白さがいっそう映える。
 島崎藤村『夜明け前』の舞台にした馬籠宿は妻籠宿の隣である。文学部に4年もいながら、こういった日本近代の大作を読み落としているとは恥ずかしい。来年は1ヶ月くらいかけて、木曽路を思い出しながら、読んでみよう。


 南木曽に戻って再び松本行きに乗る。線路は木曽川に沿っており、対岸の山々には整然とスギやヒノキが植わっている。長いあいだ木曽の主産業は林業であり、「木曽山の木を(不法に)一本伐ると、首を切られた」といわれる。
 車窓に「読書ダム」が見える。出版業界の末端にいるものとして気になるが、この「読書」は地名で、読み方も「よみかき」である。誰かさんみたいに本を買ったはいいけど全然読まず、大量に積読している部屋のことではありません。そのうちダムが決壊するぞ。
 塩尻で乗り換えて小野経由の旧線、つまりM字の左上と中央下のあいだを通り、14時34分、辰野に到着。ほぼ一日ぶりに同じ場所へ戻ってきたわけだ。木曽山脈をぐるっと右回りして何をやっているんだという気になるが、自分でもよくわからない。


 岡谷で乗り換えて、上諏訪に着く。駅から歩いて10分ほどの諏訪湖畔には有名な上諏訪温泉があるのだが、次の列車は40分後で時間がない。しかしホームの隅に「足湯」なる暖簾がかかっている。
 立て札には「昔の旅人は、足だけ湯につからせて疲れを取っていました。足湯で温泉の気分と効能が味わえます。15分〜20分ほどで体が温まります」とある。暖簾をくぐると先客がいて、ベンチに腰掛けて足を湯につけている。それに倣って僕も足をつけると、これが熱い。動かすと痛みさえ感じる。ところがしばらくすると熱さに慣れたのか、身体が温まってきた。心臓から出た血液は足の先で折り返して全身をめぐるのだから、足を温めるのは理にかなっている。
 岩の向こうにはホームが見える。すると電車が到着して、純朴そうな若い二人連れの女性が入ってきた。もそもそとスニーカーや靴下を脱いで「わっ、これ熱いね」なんていいながら、足を入れている。透き通るように白い足のお湯につかった部分だけがうっすら赤くなっている。胸がどきどきするのだが、それが足湯にのぼせたためかどうかはよくわからない。