出版営業の存在の耐えられない軽さ

 あるチェーン本部に立ち寄った帰り、下北沢を通りがかったので、業界内で有名なヴィレッジ・ヴァンガード下北沢店を一度のぞいておこうと思った。それから井の頭線で渋谷に出て、かつての旭屋跡地にオープンしたブックファースト文化村通り店を訪ねた。

 どちらも自分が近くに住んでいたら熱烈なファンになりそうなお店だ。ビレバンのPOPをみると、自分がまだ読んでいないだけで面白い本がこんなに世の中にあるんだと反省させられるし、ファーストはかつての旭屋を知るものにとっては驚きのモダンな店内デザインに、旧渋谷店の1F話題書コーナーを移植したような洗練された品揃え。共通しているのは、高いレベルのスタッフによって、そのお店が何を発信したいのか明確になっている点だ。つまり、その書店独自の世界が完成されている。

 でも、出版社の営業マンとして、不安に襲われた。他の書店を回る気がなくなり、かといって社に戻るには早すぎたので、北の丸公園でぼーっと不安の原因について考えた(サボりと指ささないで!)。

 どちらもかなり高いレベルで完成された店だ。そして、自分がお客なら買いたくなる店だ(ていうか、実際買ってしまった…仕事中なのに)。でも、そんな店で、出版営業マンはどんな仕事をしたらいいのだろう。二点のようなセレクトショップでは、「いらない本は、いらない」という方針がはっきりしている。欲しい本の注文が来る。でも、それでは出版社の営業マンが単なる注文取り、御用聞きに堕ちてしまう。そんな受け身の姿勢になる無力感が、不安の原因だったと思う。



 昔のように、書店営業イコール注文を取ってくること(業界用語を使えば「番線を押してもらうこと」)という時代ではない。それは「棚を増やせー!」「平積みをしてくれー!」という出版社の意志の押しつけに他ならない。セットの受注なんてその最たる例だ。ただ、書店の注文を処理することだけが書店営業でもない。そんな受け身の仕事を僕はやりたくない。

 もちろん、魅力を説明せずに売れてくれる完璧な商品ばかりがある訳ではないし、すべての商品に目を通して取捨選択する完璧なスタッフがいるわけでもない。メーカー(出版社)とショップ(書店)をつなぐ役割が失われることはないんだけど、それでもセレクトショップの台頭には、ひとりの出版営業として不安を覚えるのです。

 ちょっと、出版営業の仕事の意味、少し大げさにいえば「出版営業の思想」について考えてみたいと思います。