遠くのアメリカより近くの中国?

yabu812008-02-10

 僕は日本に生まれ、日本で暮らし、日本語を話す、したがって日本がいい国であってほしいと願うナショナリストだが、その割には石原慎太郎やら小林よしのりといった愛国者のみなさんとは意見が合わない。
 書店に足を運べば、人文書のコーナーには「日本はこんなにいい国だ」「中国はこんなにひどい国だ」といった愛国者たちの本が山ほど並んでいる。テレビをつければ、ギョーザ騒動(冷凍庫のない我が家では関係のない話題だ)のおかげで「中国に食の安全はない」「北京オリンピックは失敗する」「中国バブルは崩壊間近だ」といった中国叩きの嵐だ。胸くそ悪い。
 なぜ、中国叩きが気持ち悪いのだろう。
 それは、「成長が終わり、規模の小さい日本に希望がみえない」という自信喪失と「成長が続き、規模の大きい中国に抜かれるかも知れない」という恐怖の裏返しだからだ。希望のなさを過去の成功体験で覆い隠そうとしても解決にはならないし、コンプレックスをひけらかしても惨めになるばかりである。そんな後ろ向きのことをしているヒマがあったら、将来のために何が必要かを語り合いたい。
 そんなわけで、既存のマスメディアに期待できない以上、この場で中国について少し考えようと思う。


 今日のテキストは、上海総領事だった故・杉本信行氏の『大地の咆哮 元上海総領事が見た中国』(PHP文庫)と、思想界のスーパースター内田樹の『街場の中国論』(ミシマ社)である。方や対中外交のスペシャリスト、方や「中国問題の専門家でもなんでもありません」という大学教授であるが、面白いことに二人の言うことはかなり一致している。

大地の咆哮 元上海総領事が見た中国

大地の咆哮 元上海総領事が見た中国

街場の中国論

街場の中国論

 前提となるのは、中国はとにかく大きい、ということ。なんだ当たり前じゃないか、と思うが、「十三億人を統治するために必要なマヌーヴァー(政略)は、たとえばデンマークの首相が五百万人のデンマーク国民を統治するときに駆使するマヌーヴァーよりも、はるかに狡猾で非情なものにならざるをえない」し、「対処を間違えると共産党一党独裁という政体そのものが吹っ飛んでしまう」(内田)かもしれないのだ。また、共産党一党独裁とはいっても「地方の権力者が跋扈していて、なかなか一筋縄ではいかない」(杉本)のが現実である。日本の尺度で中国を考えてはいけないというのは、二人の共通認識だ。


 そのため国がまとまるには「簡潔で反論の余地がない物語」がどうしても必要なのだが、中国にとって近現代における成功体験は「抗日戦争の勝利」しかない。日本を敵にするのはとてもわかりやすいが、同じ東アジアで隣り合っている以上、日本と敵対しあうと不都合も生じる。その矛盾を解決するのが「悪かったのは日本軍国主義」というロジックである。「日本軍国主義が中国人を苦しめた、だから日本軍国主義を許さない、ただし日本人に罪はない」これは中国側が日本に対する上でのベースであり、日本がこれを刺激するようなこと(靖国参拝とか、軍備増強とか)をすれば過剰なほど反応されるのはやむを得ないのだ。
 僕は知らなかったのだが、中国は国交回復の時に日本に対する戦争賠償を放棄している。「旧敵国の国民感情を『あえて戦争責任を問わない』という政治手法で魅了してしまった周恩来の政治は、『王道政治』のひとつの範例」(内田)だが、中国人の本音には「『中国は戦争賠償を放棄しているのだ。日本の対中援助は賠償の代わりであり、まだまだ足りない』という気持ちがある」(杉本)という。


 そんな中国とどう接していくか。「中国は日本にとって、時としてやっかいな隣国である。しかし、だからといって日本は引っ越すわけにはいかない」(杉本)以上、「中国政府のガバナンスが衰えて、政府のコントロールが効かなくなる」ことは「日本の国益を深く損ねるシナリオ」(内田)であり、絶対避けなければならない。
 そのために外交官だった杉本は「中国の安定のために対中ODAを続けることが、日本の安定につながる」と説く。また、思想家である内田は日中ともに「愛国的熱狂のさなかに涼しい顔をして『まあ、少し落ち着いて考えなさいよ』という人…そういう『まっとうな人』たちとネットワークすること」が必要なのだという。


 僕にできるのは「まっとうな人」を一人でも増やすこと。結果として、政治やメディアでまっとうな意見が力を持ってほしい。日中関係を考える上でとてもためになる『大地の咆哮』『街場の中国論』、ぜひご一読ください。