『ゴールデンスランバー』『自死という生き方』

ゴールデンスランバー

ゴールデンスランバー

 参りました、という心境である。本屋さんで大人気の伊坂幸太郎は、『重力ピエロ』は挫折、『アヒルと鴨のコインロッカー』はそこそこといった感じで、いまいちブームに乗れなかったが、この本は文句なしの傑作だ!
 ケネディ暗殺を下敷きに、首相暗殺の濡れ衣を着せられた男が、青春時代の仲間の助けを借りながら逃亡を図る。これではただのミステリーだが、丁寧に組み立てられた物語、癖のある登場人物、次々に読み進んでしまうリズムある文章、超一級のエンターテイメント作品として、まさに「よくできました」である。
 「おまえさ、あのアイドルちゃんとやったのか」「いやあ、ロックだよ」「だと思った」「青柳さんにお手紙ついた」「課長!有給休暇これからとっていいですか!」「雅春、ちゃっちゃと逃げろ」「行け、青柳屋」もうセリフを抜き書きしているだけで、また読みたくなってくる。この本を手にしないのは人生の損失というほかない。評価★★★★★

自死という生き方―覚悟して逝った哲学者

自死という生き方―覚悟して逝った哲学者

 我々は自殺を否定的にとらえる。生活苦・失恋・不治の病・抑鬱・時代の犠牲など、理由はさまざまでも、「何も死ぬことないのに」「生きていればいいことあるのに」と思う。そして与えられた人生を全うすることが正しいと信じている。だが、本当だろうか?
 著者は65歳の哲学講師、我々の常識に真っ向から立ち向かう。老衰や自然死で「眠るように息を引き取る」なんて幻想に過ぎないという。ソクラテス三島由紀夫伊丹十三などを例に挙げながら、人生において「極み」(幸福と思える体験)をある程度味わうことができれば、老いて惨めな姿をさらす前に、喜んで命を絶つべきだと説く。説いただけではなく、実践として自死を決行した。この世に新刊は多くあれど、文字通り命をかけて書かれた本はそうない。
 26歳の僕には、自死を是非を判断するに十分な経験がない。ただ、自分の頭で考え、それを実行した哲学者の生き方にすがすがしさを感じる。それはガンの壮絶な闘病記を毎日新聞に連載して世を去った佐藤健記者(『生きる者の記録』毎日新聞社刊)と、その結論は正反対であるが、何か共通するものがある。評価★★★★☆
 

百貨店サバイバル―再編ドミノの先に (日経ビジネス人文庫)

百貨店サバイバル―再編ドミノの先に (日経ビジネス人文庫)

 かつて小売りの雄といわれた百貨店。消費社会の発展とともに右肩上がりの成長を続けたが、業界は縮小に入り、はじまった大再編・淘汰の模様をルポした一冊。
 百貨店と近い状況に置かれているのが書店である。かつて日本人の教養志向の高まりと若者人口の増加が相まって栄華を極めた。ベテランの店員さんに聞くと、仕入れれば仕入れるほどハードカバーが売れた時代もあったそうだ。しかし今や商品単価は下がるは、客単価は下がるは、客数は減るは、しかもどれも好転する見込みがないという状況である。
 というわけで練習問題として、いわゆる百貨店型(大型の店舗で幅広い品揃えが自慢)のチェーン店(紀伊國屋丸善有隣堂ジュンク堂三省堂・旭屋・八重洲BCなど)が次のどのタイプに当たるか考えてみるのも面白い。

(A)単品管理や顧客管理の徹底で高い利益率を誇る伊勢丹・大丸型
(B)全国にバランスよく店舗を展開し、可も不可もない高島屋
(C)ブランドは抜群だが、経営革新の遅れた三越松坂屋
(D)無茶な店舗拡大で破綻に追い込まれたそごう・西武百貨店型

 まあ、他人のことあれこれ言ってる余裕は我々出版社にもないんです、とメーカーとしては「三洋電機」型の我が社は思います。すみません。評価★★★☆☆

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 おしゃれとは縁遠い生活をしているが、つい買ってしまう雑誌が「TokyoGraffiti」だ。今号の特集は「東京ひとり暮らし」、実は他人の部屋に邪魔するのが大好きなんだけど、最近は周りもなかなか誘ってくれないんだよなー。自分の部屋に誘うのもなかなか難しいんだけど。
 この週末、部屋の更新手続きをして、わが玉野荘暮らしも5年目に突入した。部屋が僕になじんできて、居心地は最高だ。洗濯機が置けなくても、風呂が手動でも、冷凍庫がなくても、北向きでも、ベッドが入らなくても、流しが小さくても、慣れてしまえば平気である。最大の問題は、今の生活に満足しきってしまって、結婚とやらをどこかに置き忘れていることか…。