年賀状を書こうかと…

 進行性のガンで亡くなったといえば、昔の年賀状を眺めていて、高校の陸上部で一緒だったオーミを思いだした。太平洋戦争が終わって生き残った人間には「いい奴ほど早く死んだ」という後ろめたさがあったそうだが、オーミについて僕も同感である。孤高を気取るタイプの人間が多い陸上部(僕もそのひとりだ。ほんとうに高校の頃はイヤな奴だったと思う。今も大して変わらないという声も…)で、場を和ませようと気をつかったり、打ち上げでタバスコを飲んで笑わせたりしていたオーミ。一方駅伝では1区10キロの長丁場を乗り切ったり、まわりに冷やかされても練習の合間に英単語を必死で覚えて東大に入るほど、努力を惜しまなかったオーミ。自分なんていても大して役に立たないけど、オーミがいないのは本当にもったいない。


 鼻にかかった声は今でも思い出せるのに、顔はだんだんぼやけていって、アルバムを開かないと不安な自分が悲しい。もっともっとオーミと一緒にいたかった。10年20年と歳を取って、お互いに今なにをがんばっているのか喋りたかった。学習院との定期戦で田村賞(1500m走の勝者に与えられるグランプリ)を取り合った話もしたかったし、大学でオーミに初めての彼女ができて鬼怒川温泉に行ったという話も聞きたかった。広尾の日赤病院に見舞いに行ったら「司馬遼太郎藤沢周平がおもしろいんだぜ」なんて言ってたのに、僕が司馬さんや藤沢さんを読み出したのはオーミが死んでからで、いっしょに好きな本の話ができなかったのは悔しくてならない。


 会える時に会っておかないといつ会えなくなるかわからない。強烈な後悔が人と会うのを面倒がる癖を持つ僕を少し変えたと思う。そして、どんなにイヤなことがあっても辛いことがあっても、明日になれば何か変わるかもしれない。変えられるかもしれない。過ぎてしまったことをグズグズいっていたら、22で死んでしまったオーミに申し訳ない。といった気持ちで日々なんとかやっております。