還暦

 小学生のころ、学校に提出する家庭状況の調査票で、毎年のように父の勤務先が変わって恥ずかしかった。
 高校は都内の進学校だったので、同級生の親は大学教授とか医者とかある程度の地位を持っていることが多く、口にこそ出さないが引け目を感じていた。
 高校三年になった春、勤務中に屋根から落っこちて大ケガをした。車イスになったらいまの仕事は無理だろうし、そうすると大学も自腹で通うしかないな、と思った。なんでこの大事なときに、と頭にきた。どこでもいいから大学に入ってしまえば学費は奨学金である程度まかなえるけど、浪人する余裕はないし、一人暮らしをするともいいだせなかった。結局北大はあきらめた。(いま仕事で北海道を担当しているのも不思議な縁だ。)
 大学四年になる春には仕事がらみで引き受けた連帯保証で破産しかけた。就職活動まっただなかで、家柄や信用調査のある会社だったらそれ一発でアウトだっただろう。なんでまたこの大事なときに、と思った。


 そんな親父が2月に還暦を迎えた。
 親父は趣味がない。無趣味な人へのプレゼントほど難しいものはない。
 とりあえず新宿の小田急と京王デパートをうろうろする。
 かつては還暦イコール定年だったが、親父は借金返済のためまだまだ働くことになっている(ガンバレ!)。だからといって60歳を越えた人間に、今さらネクタイやワイシャツなど仕事がらみの贈り物をするのもあまりに無情という気がする。
 男から男に服をプレゼントするのはあまり気が進まないし、そもそもサイズを知らない。日用品ならどうだろうとも思ったが、時計はある程度のお金を出さないといいものを買えないし、靴はサイズを知らないし、財布はその人の使い方にあったものでないと困る。
 結局バーバリーのパジャマと、DVDプレーヤーを買って実家に帰った。パジャマなら多少サイズが違っても構わないだろうし、毎晩着るだろう。DVDの方は、ときどきレンタルショップで映画を借りてくるのだが、最近はビデオテープが少なくなってきたので、まあ役に立つだろうとの判断だ。あとは大吟醸を買って、実家へ帰った。


 親父の経歴を知ったのはつい最近のことだ。
 親父は高校を出てから名古屋の工場へ集団就職したが、新興(といえば響きがいいけど要はエタイの知れない)の商事会社に転職。10年ほど勤めたのちに小さな信用金庫(その後倒産)に移り、30前に辞めて数ヶ月ロンドンを放浪(ちなみに親父はまったく英語を話せないのに、どう生活したのか不思議でならない)。戻ってきて不動産の業界に入ったがどこも小さい会社で、倒産寸前に転職という見事な技を4回ほど繰り返して今の会社に勤めている。
 富山の散村にある貧乏農家、しかも分家の末っ子が、立派でないにせよ一軒家を構えて、家族を養い、いまでも食うに困らない生活をしているというのは、それ自体で奇跡なのではないだろうか。そう思えるようになったのは、自分もサラリーマン生活を始めてからだ。
 ボブ・グリーンは「父が退職した日」という見事なコラム(河出文庫アメリカン・ビート』所収)のなかで「息子というものは、本当は父親の生活の半分しか知らない」という。この歳になって、やっと親父が見えてきたらしい。
 仮にこれから結婚したとして、自分に息子ができても、わかってもらえるのが四半世紀後だと思うと、人生長いですなぁ…