若者じゃない皆さんの人間力を高めるための国民運動

 某日、二日酔いでフラフラしながら、それでも営業に行こうとけなげに(どこが?)地下鉄の飯田橋駅を歩いていたら、一枚のポスターが目にとまった。
若者の人間力を高めるための国民運動
 その時は気持ち悪かったので、「あ〜翌日アポを入れたのに飲み過ぎてくたばってるような僕はどうせ人間力がないですよーだ」と通り過ぎたのだが、あとで妙に気になった。
 「人間力」とは何なのか?
 素直に考えれば「人間の力」(素直に考えなくてもそうだ)のことだが、そもそも「人間」という言葉自体、ホモ・サピエンス(知恵の人)、ホモ・ファーベル(道具を作る人)、ホモ・エコノミクス(経済の人)、ホモ・ソシオロジクス(社会の人)、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)などさまざまな定義がある。暇な人はWikipediaの該当ページでも見て下さい。
 そんな定義のあいまいな言葉を持ち出して、その力が「人間力」ですといわれても、納得できるわけがない。それに「人間力」が高い人はすぐれた人間で、「人間力」の低い人は劣った人間で、仮に「人間力」の欠ける人がいれば人間でないというのだろうか? それは人間を優性劣性に分けて、精神的または肉体的に「不適格」と判断された大量の人間を抹殺したナチスの発想とどこが違うのだろう。


 とにかく、WEBサイトを見ることにした。
http://www.wakamononingenryoku.jp/
 この「若者の人間力を高めるための国民運動」の方針決定を行っているのは「若者の人間力を高めるための国民会議」で、「フリーターやニートの増加など、若者を巡る問題を踏まえ、経済、労働、教育、地域社会等の各界代表、学識経験者等が議論を行ってい」るそうだ。議長は経団連会長の御手洗、メンツには連合会長に大学教授、NHK会長から知事会副会頭まで、何の一貫性もないがとにかく偉い人を集めたらしい。で、親玉がどこかというと「厚生労働省職業安定局」、なんだ、「国民運動」なんていってるけど、お上主導のやらせだった訳ね。
 要するにニートやフリーターを社員にして働かせようという動きなのだが、経団連の会長に経済同友会の代表幹事、全国中小企業団体中央会の会長に商工会議所の会頭まで財界のお偉いさんが揃ってるなら、無能な役職者どもの手当や団塊の世代の退職金をチャラにして、浮いた人件費を若年層の雇用に当てれば一瞬で解決するだろうに。自分たちの責任を放棄して、ニートやフリーターの増加を「若者の人間力のなさ」に転嫁しているのだから、まあ、愉快な人たちである。


 「若者の人間力を高めるための国民宣言」という恥ずかしい文面の中に、「人間力」の定義がなされていた。それによると「社会の中で人と交流、協力し、自立した一人の人間として力強く生きるための総合的な力」だという。しかも「若者向けパンフレット」の「人間力を高めよう」という欄には、「考え方は人それぞれ。でも、それを高めることは、そんなに難しくはありません」とあるけど、本当かよ?
 恥をさらすが、僕の場合「社会の中で交流」するより部屋に引きこもって本を読んでる方が楽しいし、「協力」するより独断専行の方が効率がいいし、「自立」どころかかなりの甘えん坊だし、とりあえず生きてはいるけど「力強く」は生きていないないと思う。こんな自分は、「国民会議」の皆様にしてみればそうとう人間力が低いのだろうが、残念ながらこうやって25年間生きてきたので、もう簡単には変えられないと思う。ゴメンね。


 そもそも「人間力」を高めようといっているのは前述した通り「経済、労働、教育、地域社会等の各界代表、学識経験者等」で、彼らはそれぞれの業界(経団連の会長ならビジネスの世界)の中では高い能力を持ち、それが評価されているのかもしれないが、だからといって人間として尊敬に値するかは別の問題である。「人間力」という何かを語っているようで何も語っていない言葉を平気で使ってしまうような感性の連中に、「若者には『人間力』が足りない」なんていわれているかと思うと、無性に腹が立ってきた。こういう人たちは文学部に30年くらい放り込んで、しっかり勉強してもらった方がいいですな。
 だいたい「若者の人間力を高める」なんていってるけど、そう言っている「国民会議」の連中、あるいは上の世代はどれほどの「人間力」をお持ちなのか?
 とりあえず、昨今もっとも「人間力」が足りないのは内閣ガタガタまともに政治のできない安倍総理だと思うのだけど、若者の心配している暇があったら「安倍総理人間力を高めるための国民運動」でもやってあげた方が、よっぽどお国のためになるんじゃないかと思うのです。