完璧な小説

 大正8年、一人の日本人青年が息苦しい国内の生活に別れを告げ、シンガポールに流れ着いた。当時のそこは、植民地の主であるイギリス人、経済的な力を持つ中華系、そして新参者として勢力拡大を狙う日本人らが暗闘する、混沌とした土地だった。青年は思いがけぬきっかけから現地の顔になっていくが、一年ほどたったのちに中華系の有力者の娘を殺害した容疑で、イギリス人・中国系双方から追われる身となる。物語はシンガポールに流れ着いてからの青年の歩みと、追われる身となってからの青年の逃亡劇を往復しながら、真相に迫っていく・・・。

 まず、文章がいい。スコールにみまわれたあとの、街の描写。
「生活の土ぼこりが洗い流されて、街はつかのまさっぱりと生き返った表情をみせるが、同時に、空気にのこる湿り気の、どこか重たく皮膚に貼りついてくる感触が、少々うとましくある。」
 言葉が一つひとつ選び抜かれていて、赤道の熱気が伝わってくるようだ。

 そして、人物の設定がいい。たとえば立場上、青年を追うことになったイギリス人の警察官僚。
「もともと苦手だった暑さに辟易しながらの毎日である。だが退職して本国で一から出なおすという意欲もなく、ただ漫然と、目の前に置かれた邪魔物をわきに取り除けるような物憂げな手つきで、日々の仕事をこなしてきた。」
 主役の日本人青年だけでなく、中華系有力者やイギリス上流階級、日本人の娼婦に至るまで、一人ひとりの個性が強烈である。

 なにより、構成がすばらしい。二つの時間を行き来しながら、アクションあり、経済運動あり、恋愛あり、読者をまったく飽きさせず、最後には国際的陰謀につなげていくあたり、完璧な小説といえよう。
 これを読んだら、もうお子様向けのお話には戻れなくなること必至である。最高級の小説を求める本読みにだけ、こっそりお勧めします。評価★★★★★

過去の多島作品レビュー
http://d.hatena.ne.jp/yabu81/20061210
http://d.hatena.ne.jp/yabu81/20061217