街かどの教授

 親の実家に泊まって、浜でも見に行こうかと思い立つ。「自転車借りますよー」と伯母さんに声をかけてガレージに向かうと、3台あるはずが1台はパンク、まともな1台は誰かが使っていて、錆び付いた1台のサドルを何とか調節し少しゆるんだタイヤで走り出す。なんで田舎の自転車というのはいつもひどい扱いをされているんだろう…


 なんて思っていたら、灯台もと暗し。自分の実家の自転車にも相当ガタがきていたようで、うちのお袋が転んでケガをした。ブレーキのききが悪かったらしい。還暦を目前にしたお袋の運動神経にも問題があるけど、免許のない人間にとってママチャリは最重要な交通手段である。そこで親父と息子のノッポ二人で自転車を買いに出かけることにした。


 近くの大型ショッピングセンターにも自転車売り場はあるが、抗菌室のような整然とした売り場は嫌いなので却下(このあたり、親子の価値観は見事一致している)。親父の提案でドンキホーテに向かったが、雨で屋外の自転車展示スペースは休業状態だった。やむを得ず車を流していると、いわゆる「町の自転車屋」を見つけた。このまま帰るのも何だし、と立ち寄ることにした。


 やってるのかどうかもわからない暗い店内。10坪ほどのスペースに、値札のついたママチャリがずらり並んでいる。よくわからないブランドのジャンパーを着た店主が、タバコを吸いながら佇む。「この店はハズレかな」親父と目配せして、それでもすぐ出るのは悪いからと店内をブラブラしていたら、店主が話しかけてきた。


「誰の自転車を探しているの? そう、奥さんの。なんでこんなに値段が違うのかって? そりゃあいろいろだけどさ。たとえばチューブ一つにしても、安物はゴムがだめだからパンクしやすいんだよね。フレームだって、安物はアルミで軽いわけ。軽いから良さそうなもんだけど、金属として弱いから、砂利道を走ったらアウトだね。近頃は道がよくなったから、平気は平気なんだけどさ。ギア、男は使うけど女性は使わないんだよね。ギアなしなら5千円は安いよ。昔は重いギアが標準になっていたんだけど、みんな軽いギアにしたままで走ってるから、最近はそっちが標準になっちゃった。カギが後ろに付いていることが多いのは、駐輪場に入れたとき。前についているタイプだとロックしづらいだろ。でも輪っかになるタイプは錆びたときに力がいるので年寄りには不人気なんだ。それから色、この色が好きというのもあるだろうけど、それよりこの色だけは嫌いという方が重要なんだよね。季節もけっこう関係があって、暑い季節には冷たい色を、寒い季節には暖かい色を揃えていたもんだけど、実際にはシルバーを買う人が6割以上だ」


 その後も、街かどの講義はカゴ、サドル、ライト、ブレーキから昨今のデザインに至るまで続いたのだった。たかがママチャリ、されどママチャリである。僕は自分を恥じた。文学だ人生だ政治だ経済だと騒いでいるけど、世の中にあふれるママチャリすら知らないことばかりなのだ。

 我々は華やかなところばかり目を奪われるけど、世の大半は地味なことが支えている。さあ、またやり直しだ。