父のトランク

yabu812008-08-10

 実家で押し入れから自分のスーツケースを引っ張り出していると、奥に黒いトランクがあることに気づいた。取り出すと、50cm×30cm×20cmで意外に小さく「AirNita」と刻印されている。お袋に尋ねると、親父がヨーロッパへ行ったときに使ったトランクだという。
 親父がヨーロッパへ?
 小さい頃に話を聞いた気もするが、僕が生まれてからは旅に出るどころか、毎週水曜日の定休(不動産屋は土日休めないのだ。だから子供はどこにも連れて行ってもらえない)以外は、息子でもあきれるほど真面目に(週休二日でも疲れるのに週休一日とは!)会社と自宅を往復する親父の姿と、華やかな海外旅行が、どうにも結びつかない。だいいち英語の話せない親父がどこを旅するというのだ。
 トランクの中に何が入っているのだろうと気になったが、ダイヤル式のロックがかかっていて開かない。親父の誕生日にあわせてみたが駄目だった。


 親父が帰宅したのでトランクを差し出すと、お袋に命じてアルバムを持ってこさせ、自分は「何番だったかなぁ」と首をかしげながらダイヤルを回し始めた。
「そのとき勤めていた会社をバサッと辞めて、2ヶ月くらいエジンバラスコットランド)で下宿したんだよなぁ。それからイギリスやフランス、スペイン、イタリアを転々として帰ってきたんだよ」
 アルバムに挟まっていた切符やレシートをチェックすると、親父が旅したのは1974年のことだから、当時28歳のはずである。3月にスコットランドに入り、ロンドンに出てきたのは5月1日のこと。ケンジントン・ガーデンのフェニックス・ホテル(「部屋が狭い」とメモが残っている)に泊まり、5月4日には船でドーバー海峡を渡ってパリへ。7日まで滞在して、マドリッドへ向かっている。
 親父は三越で買ったというトランクのダイヤルをまだガチャガチャやっている。


 アルバムをめくると、長身でやせてガリガリ、ポーズをとることもなく、直立不動で困ったような笑みを浮かべる親父がいた。僕と親父はよく「後ろ姿がそっくり」と言われるが、そんなことはない、前から見たってそのままである。笑ってしまうくらい似ている。
 写真を見る限り、ロンドンでは順当に観光名所を回ったらしい。国会議事堂(ビック・ベン)、バッキンガム宮殿、大英博物館…。
 アルバムの所々にキャプションが貼り付けられている。
シェイクスピアの奥さんの生まれた家で。貫井君と。一流品好みのボンボン」
 生まれや育ちのいい人に対する僕の反感は父譲りだったらしい。
ネス湖から怪獣ではなく美女現れる」
 とあり、たいして美女ではない女性が写っている。「何かあったの」と聞いてもニヤニヤするだけだった。どうせ何もないに決まっている。
「インパネス(スコットランド)で出会ったひとりの女性」
 またか。
「イギリスを離れ、カモメとドーバー海峡をフランスへ渡る」
「(人と出会って)孤独感から救われる」
 一人になりたがるくせに、一人になるとすぐ寂しがって感傷に浸るのは、親子共通のようだ。


 自分の性格は母譲りだと思っていた。お袋は陽気で、いつもうるさくて、積極的かつ攻撃的。一方の親父は口数も少なく、お袋のわがままを黙って聞いているだけ。
 だが、会社に入って、電話のかけ方から頭の下げ方に至るまで、親父そっくりなことに気づいた。すると、あと20年もすれば、妻からののしられ、息子からバカにされる生活が待っているに違いない。ま、それもいいか。


「そうか、俺は1946年の生まれだから、946か…」
 ようやくトランクの鍵が開いたようだ。
 緑色のカバーをかけられたトランクの中には、所々カビが生えているだけで、何も入っていなかった。あるのは34年分の時間だけだ。その間、親父は結婚をし、子供を育て、3回か4回の転職をし(息子ですら把握し切れていない)、年をとったのだ。
 自分の34年後といったら、2042年、60歳である。そのとき、同じように旅の思い出を語るのだろうか。この夏、僕も、ヨーロッパへ旅立ちます。