ヨーロッパ胃弱日記 その1

 日本へ帰ってきて、十日ぶりに会社に顔を出したら、あえなく風邪をひいてしまった。
 仕事の過労で倒れたというならともかく、遊び帰りの人間にまわりは厳しい。「どこで悪い遊びをしてきたんだよ」とニヤニヤしているのはマシな方で、えらい人たちの「どんだけコイツは会社が嫌いなんだ」という視線が痛い。
 でも弁解するなら、原因はハッキリしている。ロンドンの冷たい夜風に二時間も吹かれていたのがまずかった。以下、その経緯を記す。


 パックツアーなんてクソ食らえ、という頑固な自由旅行主義者たる僕は、海外へ出かけるようになってもバスや地下鉄を使って観光地を回っていたのだが、短い期間で見どころを押さえるのは少々くたびれる。なおかつ夜景というのはどんなにきれいな場所でも、独りで見てると寂しさで死にたくなるものだ。そこで前回のソウル旅行で市営の夜景バスツアーに参加したところ、一回乗ってしまえば楽ちんだし有名なポイントは押さえてくれるし、すっかり味を占めた僕は今回もネットでロンドンの旅行会社を探し、前もって予約をしておいた。なんたる準備の良さ!
 ところが予約をしたとき日本は夏の盛り。「Open-top double deck buses」の言葉に、夜風に吹かれて気持ちよさそうだと思うだけだった。


 午後7時半、壮麗なロンドン・ヴィクトリア駅前で待っているとバスがやってきた。運転手のおじちゃんは60歳を超えるであろうに、ノリがいい。「どっから来た?」「日本です」「オゥ、ジャペーン!ペラペラ…」聞き取れないので微笑みを浮かべながら二階へ上がった。
 だが、おじちゃんの真価が発揮されるのはこれからだった。
 バスが動き始めるとおじちゃんの肉声でガイドが始まる。英語ならわかるだろうと思っているあなたは甘い。おそらくロンドンのべらんめえ調のようなものなのだろう、言葉のリズムがつかめず、単語を聞き取ることすら出来ない。それはさておき、おじちゃんの偉大なところは二時間の運転中、ノンストップでガイドを続けたところだ。
 ピカデリーサーカス、トラファルガー広場セント・ポール大聖堂、ロンドン塔と見どころを回るうち、おじちゃんはますます元気になっていく。一方、冷たい夜風(あとで調べたら気温は10度ほどだった)に体力を奪われる僕。東洋の小島から来た自分だけが寒がっているのかと思ったが、まわりのヨーロッパ人たちもみんな震えていたので、本当に寒かったのだと思う。
 バスが始発のロンドン・ヴィクトリア駅に戻ったとき、おじちゃんの頑張りに1ユーロのチップを払った僕は地下鉄に駆け込んだ。ふだんなら蒸し暑さを感じる地下鉄のホームが、天国のように思えた。