ヨーロッパ胃弱日記 その2

 まったく、旅はままならないものだ。
 僕はかなり用心深い性格だと思う。石橋を叩きすぎて落としてしまうタイプだ。だからガイドブックもしっかり読み込むし、予約できることは日本で済ませてしまう。
 ところが、どんな完璧に準備を済ませたつもりでも、街角で立ちすくむ羽目になる。
 今回は成田からドイツのミュンヘンに入ったのだが、空港から街の中央駅に行こうにも、切符の買い方がわからない。「Tickets」とあるからこれが券売機なのだろうけど、ボタンがいっぱいあって肝心なところがドイツ語なのでどれを押せばいいのやら。
 ホテルに着いたら寝る前に腹ごしらえをと思って繁華街に出たはいいが、地元民で混み合うレストランに入る勇気もわかず、どうしたものかとユリシーズのように街をさまよったあげく、駅に戻ってテイクアウトのパン屋で指さして買うのが精いっぱい。しかも温かそうなピザを頼んだつもりが、その隣の冷たい菓子パンを出されて、もはや反駁するパワーもなく、ホテルで涙を流しながら食べるのだった。


 ミュンヘン、パリ、ロンドンと三都市も渡り歩くと、その街その街でクセというかツボが違うので戸惑う。
 パリにも夜遅く着いて、カフェでサンドイッチを頼んだら、フランスパンにハムとチーズを挟んだ物が出てきた。ちょっと小腹が空いたから…と思っただけなのにけっこうなボリュームと噛みごたえで、しかも値段も800円ほどと貧乏旅行者には辛い。
 ホテルは学生街カルチェ・ラタンの安宿で、ある程度は覚悟していたのだが、共同シャワーが別料金(2ユーロ)と聞いたときには笑ってしまった。部屋にはベッドと洗面台があるだけ、中庭というか屋外通路を挟んですぐのところが共同トイレで、朝の5時ごろ何人か知らぬが小便で目覚めたときは、世界各国あの音は変わらないものなのだなぁとシミジミしたものである。
 翌朝、混み合う前のエッフェル塔に上り、文字通りのお上りさんになって喜んでいると、鉄の柱に頭をぶつけた。まわりの観光客が振り返ったくらいだから、音もけっこう響いたのだろう。設計者ギュスターブ・エッフェルも、自らデザインした鉄塔を百年後に「体感」する日本人が出ると想像しただろうか。

 ロンドンでも入りやすそうなパブを探して三千里、やっと見つけた頃にはフードは終わってしまい、生ぬるいエールビールを半ば自棄になって飲むばかり。
 こんなことばかり書いていると、不幸の連続に「旅とは苦行なのか」と思ってしまうけど、旅をしていると不思議なことに「街になじむ」瞬間というのが訪れるのだ。それは街について半日から数日でやってくる。街の空気と自分の存在が、どういった化学反応を起こすのかわからないが、緊張が溶けて楽になるのがわかるのだ。
 その瞬間を綴ってみよう。