ヨーロッパ胃弱日記 その3

 旅人は天気に悩まされる。
 それには二つの意味があって、一つは悪天候だと行動範囲が大幅に狭くなってしまうこと。雨が降っているとブラブラ町歩きというのは楽しみにくい。もう一つはその土地の天気を知らないこと。たとえば日本なら真夏の日中、猛烈に暑いときは夕立に気をつけろと知っているが、旅先ではそういったことがわからない。
 ミュンヘンでは雨に悩まされた。僕のバッグにはすでにガイドブック、四カ国語会話集、カメラ、地図、ノート、胃薬などが入ってかなり重い。雲の切れ間に青空が見えるから大丈夫だろうと折りたたみ傘を持たず街に飛び出して、何度も雨に降られた。
 ミュンヘンの街の中心は市庁舎のあるマリエン広場とカールス広場、その間のメイハウザー通りが歩行者天国になっていて、通りの左右が銀座のようになっている。また雨が降ってきた。通りの脇を見ると工事中のフェンスに切れ端があって、そこに入り口と「Welcome」の立て看板がある。なんだろうと思って入ってみると教会だった。
 16世紀末に建てられた聖ミヒャエル教会、ルネサンス様式の大きな建物である。信じられないほど天井の高いドームに、ちょうど祈祷中だったようでパイプオルガンの音が響く。僕はキリスト教徒でもなんでもないが、吸い付けられるように木の椅子に座り、神々しさに息をのんでいた。
 ちょうどその時、三時になったらしく、あちこちの教会から鐘の音が響いた。目を閉じてオルガンと鐘の音に耳を傾けていると、別の世界に連れて行かれるようだった。
 なんでもないことかもしれないが、僕が街に迎えられた瞬間だと信じている。

 もちろんパリでもノートルダム大聖堂やサン・ジェルマン・デ・プレ教会に足を運んだのだが、同じ感覚を味わうことは出来なかった。しかし、その瞬間は意外なタイミングでやってきた。
 パリ到着の翌々朝のことである。とにかく物価が高くて、カフェも入る店を選ばないと平気で千円以上持って行かれるのだが、セーヌ左岸のそのカフェは庶民的だった。
 テラス席でカフェオレとクロワッサンを頼んで、ぼーっと川を眺めていると、斜め前のパリジェンヌとそのお母さんらしき女性が目に入った。パリジェンヌはかわいいと俗に言うが、まったくその通りで、前後のドイツやイギリスではなかなか美人にお目にかかれない。
 彼女もどんな楽しい話をしているのか、黒髪と小柄な体をときどき揺らす。白いブラウスに黄色とオレンジのスカートがまた洒落ている。その背中をよく見ると、ブラウスの左肩のあたりに小さな、小さな穴が空いている。その穴が、彼女が笑うたびに動くのだ。
 そのさまが面白くて、カフェオレを飲むのも忘れてジッと見入ってしまった。
 変態でしょうか。


 ロンドンの名物といえば二階建てバスだ。
 しかし、実際二階建てバスに乗ってみると細い通りを右へ左へ曲がるので、はっきり言って怖い。街路樹なんか平気で接触する。そして一方通行が多いので、歩いてならまっすぐ行けるところを、四角形の三辺を経由して迂回したりする。
 そう、ロンドンという街は道路が非常に貧弱なのだ。それはパリのオスマン大改造や東京でいえば関東大震災後の復興計画のような、近代的な都市改造をすることのできなかった街の宿命である。二階建てバスだって誰も好きこのんで二階建てにしているわけではなく、限られた道路交通の容量で、どうしたらもっとも効率的に乗客を運べるか考えた結果なのだと思う。
 ちなみに中心部のピカデリーサーカスあたりを散策していると二階建てバスが何台も連なって止まっていたりするが、なかなかの迫力である。それらが一気に走り出すと、ビルが動くようで、ロンドンという街の重量感が伝わってくる。
 その瞬間が、僕とロンドンの出会いだったと思う。


 あまりに個人的な体験ばかり連ねて恐縮なのだが、けっきょく旅なんてその程度のものなんですよ、と開き直ってしまおう。四十万もかけてヨーロッパに出かけてこれが結果か、と叱られれば、ただうな垂れるしかないけど、それでも好きでまた旅に出るのだ。