ヨーロッパ胃弱日記 その4

 だから、旅行帰りの人間に「何がよかった」と聞かれるのは正直困るのだ。旅をすること、それは会社にしても家庭にしても居るべき場所から逃げ出すという行為自体が喜びであって、旅先で何を見たかなんて二の次だからだ。そこで「どこに感動したか」なんて槍を突き出されると、散漫な印象しか持たない僕などはあえなく絶句してしまう。
 というのもあまりにみっともないので、気になったことを二、三メモしておこう。


 ミュンヘン市の郊外にあるドイツ博物館は、人間の考え出した道具や機械ならみんな集めてやろうという壮大な構想の元に作られた場所で、僕は伊丹十三のエッセイで「博物館ってのはこういうものだ」(『日本世間話大全』新潮文庫)と読んでから行きたくてたまらなかった。実際足を運んでみると、流して歩くだけで3時間、工作機械や水車の模型がズラリと並んでいたりしてなかなかのボリュームである。メカオタクの僕でも、解説の英語を読むのが少々辛くなるくらいだったが、感心したのは平日の昼間だというのに家族連れが結構いたこと。そして親父さんが娘の前でコイルやダムの説明をしていたりしていたことだ。話には聞いていたけど、ドイツ人の凄さを垣間見た気がする。館外に出てみれば入館を待つ百メートルの行列!
 時計であれば1820年から時を刻み続けていたり、コンピューターであれば真空管から揃えていたり、その種のものが好きな人にとっては一日かけても惜しくない場所である。一方で、新婚旅行では絶対に行っちゃ行けない場所ですな。奥さんなんてどうでもよくなる。


 ミュンヘン中央駅からドイツの新幹線ICEに乗ること2時間半、フランスの新幹線TGVとの乗換駅シュトゥットガルト中央駅に到着した。ICEとTGVの乗換駅なのでてっきり国境なのかと思ったが、地図を見るとシュトゥットガルトはまごうかたなきドイツ南西部の中心都市である。それでも、ICEを降りると、ホーム反対側のTGVに沿って何組もの恋人たちが抱き合っており、さすがパリ行きなんだなぁと妙に感心してしまった。
 そしてTGVに乗ってみると、日本の新幹線のような機能的なデザインのICEとは違い、紫色をベースにまとめられた洒落た車内(あとで調べたらクリスチャン・ラクロワのデザインによるものだという)、「こっちがトイレ」というイラストや車内放送のメロディ一つ一つとっても非常に凝ったもので、「お洒落にせずにいられないフランス」を体感したのはこの時だった。

 地下鉄を降りてロンドンの繁華街、コヴェント・ガーデンに向かう途中の路上にはフーリガンがたむろしていた。限られた滞在の中でも、話しかければ親切なミュンヘンの人たち、話しかけなくても声をかけるパリの人たちと違って、ロンドンの人たちは他人にほぼ無関心。それが不快なのではなく、逆に心地よかったりもするのだが、フーリガンだけは怖かった。石畳の上で群れをなして放歌高吟。あの様子では試合に負けたのだろう。石畳の上にはビールの空き缶やら割れ瓶が散乱していて、この人たちと関わりたくないと心から思った。
 一方で、ボンド・ストリートあたりにはタキシードやらステッキやら葉巻やらの専門店が並んでいたりするのだから、ずいぶん懐の深い街である。      


 ルーブル美術館ルノワールが大嫌いということに気づいたり、大英博物館アッシリアの壁画に感動したり、まぁいろいろ見聞したのだが、そんなことは綴る意味もないだろう。
 ロンドンを扱ったどんなガイドブックにも、ピカデリー・サーカスからオックスフォード・サーカスへ向かうリージェント通りのカーブする部分は、大英帝国らしい壮麗な町並みの代表として取り上げられている。ところが実際に歩いてみると、高級ブティックやらブランドショップが並んでいて、銀座で毎日買い物するようなブルジョアには楽しいのかも知れないが、僕のようなプロレタリアートには退屈する街だった。退屈するだけならともかく、立派なな街並みというのは、写真や絵はがきで見る分にはいいが、歩くとひどく疲れるものである。(パリのシャンゼリゼ大通りも同じ)
 その時すでに昼食難民としてさまよっていた僕は、手頃な値段で食べられそうなレストランを見つけることが出来ず、このまま数十歩進めば行き倒れになるのではないかと思った。路地に入り、居場所もわからずさまようこといかほどか、気づけば見覚えのある赤い門。そこはロンドンの中華街であった。
 手を引かれるように「昼の定食=5ポンド」の店に入り、メニュー一番上(というのは旅行者が困ったときに選ぶ一つの技である)の「鶏肉と野菜のサワーソース」を頼む。出されたものを見てしまった!「サワーソース」とはすなわち酢豚の味付けである。そして僕は中華料理の中で酢豚が唯一の苦手なのである。(たしかニューヨークの中華街でも同じ罠にはまった。)
 ところが、ヨーロッパ滞在一週間目の僕は、胃が痛むのも無視して、「鶏肉と野菜のサワーソース」をがつがつ貪ったあげく、「Chinese food is the most delicious!」と叫んでいたのである。


 ここまで、初めてのヨーロッパ訪問を機として、古くさい自分の殻を破ろうと無理して綴ってきた旅行記の夢は破れたようである。僕はどこまでもアジア人であり、そこに戻らざるを得ないのだと。
 旅の終わりは中華街、ニューヨーク、ロンドンと二度続けて思い知らされた自分の限界なのだった。