いざ宇都宮へ!レオナール・フジタ展

 7月に札幌へ出張したとき、現地の新聞で藤田嗣治の展覧会が始まったことを知ったのだけど、仕事を早めに切り上げることが出来ず、後ろ髪を引かれる思いで帰ってきた。人見知りの自分が出来る営業なんて限られているのだから、適当に諦めればいいのに。札幌を皮切りに全国5会場を巡回するそうで、東京・上野でも11月の半ばから開催が予定されている。ならそれを待てば良さそうなものだが、フジタのように人気のある画家の展覧会が都心で開かれれば、大行列は間違いないし、人の熱気とおば様方の化粧の臭いで作品を眺めるどころではなくなってしまうだろう。


 Webサイトには、上野の前に宇都宮美術館で開催とある。いくら人気とはいえ宇都宮まで行く物好きは限られるだろうと思い、土曜の朝、湘南新宿ラインに飛び乗った。宇都宮まで約2時間の旅路は、グリーン車にしてしまおう。一緒に見に行かないかとメールを送ったのだが、返事がなかったので、さびしいひとり旅である。何度ケータイを見たことか…
 駅で30分ほど待ち、やっと来た美術館行きの路線バスはガラガラだった。しかも途中の停留所でみんな降りてしまい、丘の上の緑に囲まれた宇都宮美術館に着いたときには、僕ひとりだった。北関東がクルマ文化圏とはいえ、もっと混むと思っていたのだが。


 レオナール・フジタ展、いい企画だった。以前、東京の竹橋で開かれたフジタ展は主要作品がずらり揃えられていて、それはそれですごい迫力だった(戦争画の凄さには言葉も出なかった)けど、僕のような軟派な鑑賞者には胃もたれしてしまう。一方で今回の展示は、大作の「構図」「争闘」と宗教画を中心に、作品数も絞られていた。
 正直に申し上げれば、「構図」「争闘」とも初心者たる僕の眼では掴みきれなかったし、宗教画も興味ないのだが、それでも時間を忘れて見入ってしまう作品がいくつかあった。「雪のパリ」「二人の友達」「猫」「フランスの富」…そして60代で描かれた「自画像」の厳しさと、死の間際に描かれた「花の洗礼」の美しさに、老いてもなお美術すなわち自分と闘わなければならない画家の宿命を感じた。


 そして土曜の昼前というのに来館者が少なく、好きな絵を前に思う存分いられたのが気持ちよかった。洲之内徹ではないが、盗んで自分のものにしたくなるような絵がいい絵なのである。ただ僕の収入では絵を買うどころか、奨学金と親の借金を返すので精いっぱいなのだから、美術館で見る時ぐらい誰にも邪魔されたくない。


 美術音痴の僕が言うのも恥ずかしいのだが、素人だからこそ画集ではなく本物を見たい。だから貴重な作品を一般展示してもらうのはありがたいのだが、首都圏のように人口密度の高い場所で、なおかつ上野のような便利な場所で展覧会を開いたら、混雑で作品の魅力を台無しにしてしまう。そこで、人気のある作品の展示に関しては、次のような提案をしたい。

1)金曜の夕方から日曜の夕方にかけて24時間展示。
2)前編と後編の2回に分けて展示。   
3)スペースに余裕のある郊外の美術館で展示。


 ちなみにフジタ展をこれからご覧になる方には、大宅賞をとった近藤史人『藤田嗣治 異邦人の生涯』(講談社文庫)とフジタ自身の『腕一本・巴里の横顔』をサブテキストとしておすすめします。というより、パリ訪問のときに『腕一本』を読んでいたから今回も行こうと思ったわけで、そうでなきゃ美術音痴の僕はスルーですよ。
 さ、次はリニューアルした宮城県美術館に洲之内コレクションを見に行くぞ!