たかが香港 その1

 香港のまんなかに位置し、ビルと山と海に囲まれて着陸の難しいことで有名だった旧啓徳空港は、香港移管直後の98年に閉鎖され、空の玄関は郊外ランタオ島に建設された香港国際空港に移った。そんな新空港に着陸したのが、木曜夜10時半のことである。


 空港のバスターミナルから、ホテルのある尖沙咀方面へA21系統のバスは二階建てで、観光客気分全開の僕は2階の先頭という特等席を占拠した。後から上がってきたインド系のコドモに睨まれたが気にするまい。バスは高速に入り、まっすぐ伸びた道を淡々と走る。大きな橋を渡り、左手に金色に輝く高層マンションが見えたと思ったら再び山の中へ。いくつかのトンネルを抜け、ようやく街中へ入ったのは空港を出てから30分も経ってからだった。


 僕らにとっての香港は夜の街に乱立するネオンサイン、天に向かって突き立つ高層ビルの群れ、混沌と騒音のなかにある過密都市というイメージが一般的ではなかろうか。いわゆる香港とよばれるエリア(中華人民共和国香港特別行政区)の面積は東京都の半分ほどだが、その中で僕らの思い浮かべる華やかな香港は一部も一部である。その周りには中国華南地方の大きな自然が広がっている。
 いや、この言い方は逆かも知れない。ご存じの通りアヘン戦争の戦果として香港がイギリスに割譲された19世紀半ばまで、香港という街は存在せず、小さな小さな田舎の港町に過ぎなかったのだ。それが200年足らずで異常な発達をとげ、世界有数の大都市に化けた。資本主義の擁護者からみれば大砂漠のなかのオアシス、違う立場からみれば突然発生したガン細胞のようなこの街の気持ち悪さが、面白い。


 旅行者にとって香港はショッピングとグルメの都といわれる。が、金欠の僕にとって高級ブティックでの買い物など頭にないし、食い道楽に走ろうにも胃が悪い。なら何しに行ったんだと怒られそうだが、翌日の昼間にはやることがなくなってしまった。目的意識の低い人間に「地球の歩き方」はあまり役に立たない。念のため持参していた下川祐治編集の「好きになっちゃった香港」に、ヴィクトリア・ピークの山頂ハイキングが楽しいと書かれていたので、あてのない僕はガイドブックにそのまま乗っかることにした。


 ヴィクトリア・ピークは香港島西部にそびえる標高500mほどの山で、「百万ドルの夜景」を眼下に眺められる名所として知られている。ケーブルカーで山を登り、午後4時一人きりのハイキングを開始した。
 このハイキングコースは夏力道と廬吉道がつながってぐるり一周できるのだが、ガイドによれば「必ず時計回りで回れ!」と指示がある。人から命令されるのは大嫌いだが、逆らう気力もなく、足を進める。ほどほどに木が生い茂って、歩くには心地よい道だ。
 20分ほどで香港島の裏側を望める休憩ポイントがある。騒々しい表側と違って、眼下には飲料用のため池と数棟の高いマンション、その先には岬が伸びていて、黄昏に包まれた湾には漁船だろうか、小さな船が一艘、二艘と浮かんでいて、なかなかいい景色だ。下川氏がハイキングを薦めたのはこのためかと思いながら、さらに先へ向かう。


 ぐるりと半周して夏力道から廬吉道に入ると、頭上の木は鬱蒼として周りの景色は見えなくなる。たまにすれ違う人はいるものの、見知らぬ異国でこういう道は不安なものだ。
 歩き始めて1時間近く立ったころ、ふっと視界が開けた。
 夕暮れの淡い光に包まれた海峡、ところどころに水墨で描いたような小島が浮かぶ。手前には香港島のシャープな高層ビルの群れ、奥は九龍の港と繁華街、挟まれたヴィクトリア・ハーバーのあるところには小船が十艘、二十艘と固まっており、あるところでは左へ右へひっきりなしに大型船やらフェリーやらが行き交っている。
 僕が眼にしているのは東洋の動脈なのだ。中国と世界、東アジアと世界の結び目が、今ここにあるのだ。

 わざわざ高感度のフィルムカメラで何枚も撮ったのだけど、ただのぼやーっとしている写真になってしまった。この感動を伝えきれないのがもどかしい。
 「たかが香港」と侮ってはいけない。どこに何があるかわからないものだ。もう一つ、たまにはガイドブックのいうことに素直に耳を傾けてみるものだ。なんか偉そうだな。