サイゴン日記 その3

 熱帯の夜は、なんでこんなに楽しいのだろう。
 オープンカフェで生ぬるい夜風に身をさらしながら通りを眺める。共産国と思えないようなケバケバしいネオンが遠く輝いている。
 わずかなバス路線以外に公共交通の存在しないサイゴンには、「ベトナム・バイク共和国」を名乗らせたいほどホンダやヤマハがあふれている。路上では奇妙な三角関係が成立していて、少数派のクルマはクラクションをがんがん鳴らすものの、時速30km程度のバイクの群れに阻まれてスピードを出せない。圧倒的多数派のバイクだが、地下道や歩道橋は皆無、信号や横断歩道すらほとんど見あたらない歩行者が決死の横断を試みると、よけて走らなければならない。歩行者にとってバイクに遠慮する必要はないのだが、クルマは突っ込んでくるので気をつけなくてはならない。以上が組み合わさると、ただうるさいだけで、きわめて効率の悪い道路の一丁上がりだ。
 そんな流れをぼうっと眺めていると、だんだん不感症になって、街にに溶けてしまうようだ。他者が消えるというのは、自分もなくなるということで、実に気楽である。ビールがなくなってもオーダーを取りに来ることはないし、永遠にこのままでも許されそうだ。
 呑気なことを考えていると、音もなく空が光ったと思ったら、一陣の風が吹き、スコールがやってきた。ちょうど雨期の入りで、天気が不安定なようだ。
 屋根の外で喋っていた連中が殺到し、店内がざわつく。雲霞のようなバイクの群れはさっと姿を消す。確かにバイクという乗り物は雨には弱いので大変だ。なんて同情していたら、レインコートというよりビニールの布きれのようなものをまとって、奴らは再び現れた。あっという間に騒がしい街が戻ってきた。