NY訪問記(1) 道を聞かれる男

 僕は、よく道を聞かれる。早稲田に住んでいたころ、コインランドリーで本を読みながら待っていたら、おばちゃんがわざわざガラス戸を開けて「穴八幡宮へはどう行ったら…」なんて尋ねてきたのにはまいった。(せめて道行く人に訊いてくれ!)台湾に旅したときも、台北北郊の基隆という港町にある公園で、中年の男性に「向こうにみえる観音様にはどう行ったらいいのか?」と訊かれて、戸惑った記憶がある。
 まあ日本国内なら同じ日本人だし、台湾でもなかなか現地人との区別がつかないだろうから良しとしよう。ところが、ニューヨーカーたちも、もう見るからにアジア人です、といった感じの僕をつかまえて、流暢な英語(当たり前だが)で道を聞いてくるのだ。

 9月13日午後5時過ぎ、アメリカン航空168便はジョン・F・ケネディ国際空港に着陸した。右も左も分からない状態のなか何とか地下鉄のE線に乗りかえて、ポート・オーソリティ・バスターミナルに着いたのが午後8時ごろ。はて、宿へはどのバスに乗ったらいいのやら、と右往左往していたところ、子連れのヒスパニック系女性に呼び止められた。
 あの、僕が手にしているスーツケースが見えませんか? しかもここに飛行機のタグが付いてるでしょ? 僕も人に聞きたいくらいなんだけど、聞いたところで答えてもらった英語が分からないので我慢してるんです……と泣きたいくらいだが、「ごめんなさい、僕は旅行者なんです。他の人に聞いてください」と丁寧に答えたのだった。

 あとで数えたら、滞在6日間で7回道を聞かれている。ひどいのになると、車の中から「どこそこ通りはどれだ?」なんて言ってくる。ユニオンスクエアの近くにあるストランドという古本屋を出たところでは、『地球の歩き方』を手にした日本人の女の子2人に「ソーホーへはどういったらいいんですか?」と英語で聞かれた。そりゃトートバッグを古本で満杯にして出てきた奴をみたら、とても観光客には見えないだろうけどさ。

 他にも「写真撮ってください」とか「この地下鉄はどこそこに止まるか?」とか、それにいちいち応えてしまうんです、これが。
 もっとも道を聞かれるくらいなら害はないが、ぜんぜん違った目的で呼び止める輩もいるから辛い。

 2日目のことだ。ワシントンスクエアから6番街に出たあたりで、黒人のティーンエイジャーと手がぶつかった。「ソーリー」と謝って過ぎようとしたのだが、しばらくすると追いかけてきて、「落としたメガネにヒビが入った、このメガネは作ったばかりだ、修理代として160ドル払え」と言うではないか。
 ところが奴さんも僕が英語を話せないとは思わなかったらしい。「中国人じゃないのか、それは困った」なんて言ってる。困った時はお互い様?
 「ヒビくらいで替えることないじゃないか」「親父がこのメガネを買ってくれた、親父に怒られる」「親父さんの問題は関係ない。これは僕と君の問題だ」「じゃあ親父を呼ぶ」「僕も知り合いの日本人に電話してみる……がいないみたいだ」「ちょっとあそこの公園に行こう、友達がいるから」「ここでいいじゃないか」「高校生なので手持ちがないんだ」「警察へ行って仲介してもらおう」「時間がかかるよ」
 一時間半は粘っただろうか。もう限界だった。「わかった。僕と君とのあいだの事故だ。80ドル払おう。これでいいね」奴さんもそれで納得し、手打ちと相成った。お金を渡して、「すてきな旅行を」「ありがとう」と握手してサヨウナラ。
 安易な解決法だと非難したい人は非難すればいいさ。甘んじてそれを受けます。

 宿に帰って日本人のオーナーにその話をすると、
「よかったですよ。その子がナイフとか持ってなくて。それに悪い友達が一緒だったらもっとひどい目にあったかもしれないんですから。それにしても英語ができないって言ってたのに、いざとなればけっこう話せてるじゃないですか。ほら、自信を持って!」
 実際、それまで英語を口にすることが恥ずかしかったし怖かったけど、こうなればデタラメな英語でも使ったもん勝ちという気分になった。
 開き直ってしまえばこっちのものだ。翌日から楽しいことが次々と待っていた。大都会だから嫌なことはある。でもそれを吹き飛ばしてしまうくらいエキサイティングな街なんだ。
 植草甚一(J.J氏)も書いている。(ぼくのニューヨーク案内 (植草甚一スクラップ・ブック)

 ニューヨークへ来てから四十三日までが長い一日みたいに感じられてしようがないのは、毎日の面白さが一日ごとにもっと面白くなりながら、前の日を忘れるようにさせてしまい、そうして夢を見なくなったからであって、そのため時間が停止したようになっている。…面白かったAの日のことが、もっと面白かったBの日のことで消されたようになってしまい、その連続だったから原稿が書けるはずがなかった。