NY訪問記(3) ハーレムの夜、ハーレムな夜?

 ニュージャージー州からハドソン川の底を潜ってマンハッタン島へ通じるリンカーントンネルは、金曜夕方ということもあって渋滞していた。終点のポートオーソリティ・バスターミナルから6番街54丁目のヒルトンホテルまで早足で歩いたのだが、それでも5分遅刻した。
 どうしたものか、と行き交う宿泊客を眺めていたら、ツアコンに「こっちです、こっち」と手招きされ、四駆に乗り込んだ。乗りしなに「遅れてすみません」と謝ったら先客であるマダムに「遅いじゃなーい」と言われた。やばい、僕はこの人に好かれそうだ……。

 参加したのは旅行会社のハーレム・ツアーである。集団行動が苦手なので国内外問わずツアーに参加することはあまりないのだが、さすがに夜のハーレムへ一人で乗り込む度胸はない。旅は道連れ世は情け、たまにはいいかと申し込んだのだ。
 今晩の参加者は僕をのぞいて5人。最初に声をかけられたマダム(と思ったのだが指輪をしてないところを見ると独身なのか)とその仲間マダム(同)は二人とも整った顔をしていて、叶姉妹みたいだ。しょぼくれたスーツを着たおっさんは「NYU」のバッチを付けているところを見ると、ニューヨーク大学の客員研究員あたりか。黒スーツでばっちり決めた二人は杉村大蔵と山崎拓に似ているが、どうやら大蔵の方が偉いらしい。あとで聞いたら、二人は群馬の工場にブラジルの日系人を派遣する仕事をしていて、今回は日本からブラジルへの旅の途中でニューヨークに寄ったのだという。

 8時前、ハーレムのシルビアというレストランに入る。店の入り口に"Queen of Soul Food"と掲げてあるが、ツアコンによると看板に偽りなく、クリントン元大統領が訪ねたこともある有名なレストランだという。
「仕事柄人を見る目があるんだ。君の職業を当ててみようか」大蔵が言う。
「学生かな? いや入社何年目かの銀行員だろう。」
「なんでわかったんですか!」
 また適当なことを言ってしまった。
「それは人生経験だよ。出身は秋田あたりじゃない?」
 ソウル・フードなんて東京では食べたことがないが、出てきたものはフライドチキンやフィッシュフライ、ガーリックパンなど比較的おなじみのものだ。アメリカ南部の黒人家庭で受け継がれている料理だそうな。油っぽいことは油っぽいのだが、チリソースはじめ味付けがいいので、食べられる。
 それでも元の量が多いので、余ってしまった。
「ねえ、君、ロクなもの食べてないんでしょ」恭子さんが言う。
「は、はい…」
 なんでこんなに気弱なのか。
「せっかくだから詰めてもらいなよ」美香さんが言う。
 ツアコン氏が店の人に頼んで紙のパックを持ってきた。叶姉妹が手際よく詰め込んでいく。要りませんとも言えず、手渡されてしまった。ツアコン氏が「じゃあとりあえず車に置いておきますから」とパックを持っていった。

 続いてハーレム最古のジャズクラブ・レノックスラウンジに移る。

 店にはいると普通のバーがあって、奥にもう一枚扉がある。その中がライブスペースで、「ゼブラルーム」の名の通り壁は縞模様。マイルスやコルトレーンもここで演奏していたという。ハーレムにある割には、客は日本人や白人ばかり。郷土料理の店に地元民が行かないようなものか。
 割り当てられたテーブルは2つ。3人3人に分かれ、やはりというべきか、叶姉妹の方になる。
 リーダーのビル・リーは黒人のベーシスト。一生を音楽に捧げてきたという感じの小柄な老人で、雰囲気存在感含めて田中邦衛に似ている。帽子もかぶっている。メンバーの中には日本人の女性ピアニストもいた。名前は後藤小百合さん、福岡の出身だという。
 プレイの前に挨拶したが、小柄ではにかんだ様子がかわいらしい。こんな人が単身海を渡って、ニューヨークで活躍していると思うと、やっぱり女性の方が勇気あるよなと感心してしまう。
「ねぇ、もう一杯飲もうよ」恭子さんが言う。「奢ってあげるからさ」
 私、皆さまの優しさに生かされております。
 演奏は、トランペットの生意気そうな白人の兄ちゃんがちょっと飛ばし過ぎているように思えたが、ベースとドラムがしっかり底支えしていた。中でもリーダーがピアノにまわって、マジメそうな若い黒人のテナーサックスにつきあった一曲は、よかった。

 帰りはみんなで四駆に乗り込んで、順番に宿泊先で降ろしてもらう。叶姉妹ヒルトンに泊まっているらしい。明日は松井秀喜の応援に行くのだという。
「いろいろごちそうさまでした。」
「そんなのいいわよ。また会えるかもね」
 帰途のアメリカン航空で二人と一緒になるとはこの時思わなかった。
 僕の宿はニュージャージーにあるので、送迎はポートオーソリティまでだ。車を降りようとすると、ツアコンが「ほら、忘れ物」とシルビアの紙パックを手渡してくれた。
 急ぐこともないのでタイムズスクエアの周りをうろつく。金曜の夜ということもあって、人出が多い。ブロードウェイ劇場街のまばゆいネオンに照らされて楽しそうに歩く人びとの間を、冷たいソウルフードを抱えて、一人ゆく。