思えば福岡へ来たもんだ 若松

 電車に乗って戸畑に向かう。駅から十分ほど歩くと、赤い鉄骨で組まれた大きな橋が空高くそびえている。戸畑と若松を結ぶ若戸大橋(有料道路)で、歩道がないためにその足下に小さなフェリー乗り場がある。北九州市営の若戸渡船で、100人乗ったら大丈夫でなさそうな小さい船に乗って、対岸の若松をめざす。わずか3分ほどの船旅、水上を吹き抜ける風が心地いい。
 若松は洞海湾に面した港町で、かつては筑豊で採れた石炭の積み出し地として日本有数の賑わいをみせた。もっとも筑豊地区すべての炭田が閉山した現在、町の景気のいいはずはなく、当時を偲ばせる建物が散見される程度である。ではなぜそんな町に足を運んだかというと、火野葦平作『花と龍』の舞台となったからだ。
 葦平の本名は玉井勝則、『花と龍』は彼の両親玉井金五郎とマンが最底辺の仲仕(港湾労働者)からスタートして、度胸と才気で仲仕の組織「玉井組」を大きくしていく物語である。男のかっこよさ、女のかっこよさが存分に盛り込まれ、ドラマチックに話の進むこの小説が僕は好きで、一度この港町を訪ねてみたいと思っていた。
 市民会館に併設された葦平の資料館をのぞいてから、彼の旧居「河伯洞」に足を運んだ。世話好きそうなおばちゃんが現れて、いろいろ説明してくれる。
「この墨を塗ったように所々黒くなっている柱は黒柿といって、これ一本で安い家が一棟建ってしまうほどのもので…」
 現代人は木造家屋の価値を知らないので、ただ頷くしかない。
 葦平は気前のいい親分肌と神経質なインテリの素質をあわせもった作家で、下の広間でたびたび文学仲間の集まりを催す一方、二階の書斎は簡素な作り、当時窓はすべて書棚で塞がれ暗い部屋で執筆していたという。昭和35年、葦平が自裁を遂げた書斎で、しばし佇む。