ソウルの補習問題 第一問

 ソウルの繁華街・明洞のすぐそばに、南山という小高い丘がある。そこに立つ「Nソウル・タワー」からの夜景がきれいと評判だ。バカと煙は何とやらで、高いところの大好きな僕はさっそく行ってみた。
 このタワーは3年前にリニューアルされたそうで、現代的なデザインで仕上がっている。アルファベット表記はあっても、ハングル文字は目立たない。そして集まった若いカップルやグループは、髪型も服装も今風で、顔つきや体つきでも区別はつかず、傍目には何人かわからない。
 夜のソウル旧市街を眼下に、目を閉じれば飛び交う韓国語・日本語・中国語の響き、中国語はまだ少ないが、経済発展でこれから増えるのだろう。再び目を開けばケータイで写真を撮ったり、二人で抱き合ったり、3カ国の若者たちの行動は驚くほど似通っている。僕は韓国でも日本でもない、不思議な国に来たような気がした。
 これは東アジアの未来図なのだろうか。

明洞:韓国語だけでなく、英語や日本語があふれる。
 韓国を旅した人の多くが、日本と似ていることを強調する。
 たとえば、景福宮という朝鮮王朝の王宮に行ってみよう。建物は中国と日本を混ぜ合わせたような感じ(正しくは日本も韓国も中国から影響を受けている、ということなのだが、日本人である我々はそう感じるのだ)だし、構造にしても門の中にそれぞれ王の執務室だとか寝殿、宴会場、図書館などが建っており、日本人にとって「なぜこの建物がここにあるのか」について違和感が全くない。建物にかけられている額は漢字表記である。
 僕は旅先のホテルでその土地のバラエティ番組を見てしまうのだが、言葉はわからなくても、似た顔のタレントが出てきて何かやって笑いを取ってという、番組の構成がそっくりなのだ。音声とテロップを入れ替えてしまったら気づかないのではないかと思うほどだ。
 地下鉄に初めて乗ったとき、ちょっとキムチ臭がしたのに驚いたが、一日たてば自分自身がキムチに染まったためか、何も感じなくなっていた。電車の中の人々は、ケータイをいじったり、新聞を読んだり、居眠りしたり、ごく自然である。

京東市場:その土地を知るには市場に行くのがいちばんだ。なぜ観光コースに加えられないのか、理解に苦しむ。
韓国といえばキムチ、キムチといえば唐辛子である。同じく京東市場にて。

 もちろん、日本と韓国は同じ中国周辺文化とはいえ、山ほど違いがある。儒教一本だった韓国に対して、仏教のベースに儒教を掛け合わせた日本。半島という地政学的な要因から外的に攻められ続けた韓国に対して、比較的国境を守りやすかった島国の日本。一人で食事をする人なんてほぼ見かけない(だから孤独な旅行者は本当に困る)ソウルに対して、牛丼屋に立ち食いそば屋にラーメン屋と一人メシに困らない東京。韓国人の友だちでもできて、つきあい始めたら摩擦が起きるのかも知れない。
 ただ、それが乗り越えられない壁とは思えない。同じ民族であることが強調される韓国と北朝鮮より、もはや韓国と日本の方がよっぽど似ているし、より近づいていくのではないかという気がするのだ。