続・ヨーロッパ胃弱日記 その1

 ベルリンは都市圏人口500万人、ヨーロッパ有数の大都市である。だが、フランクフルトで乗り換えて1時間ほどのフライトで着いたベルリン・テーゲル空港は、ずいぶん小じんまりしていた。大きな空港では到着してからえんえん歩かされてやっと荷物のピックアップなのに、ここでは飛行機を降りてターミナルに入ったらすぐ手荷物の引き取り、脇の自動ドアから外に出てはいおしまいである。戦後西ベルリンになってからあわてて作られた空港であり、まもなく閉鎖される予定とのことだが、それにしてもドイツの首都を代表する空港としては意外なほどローカルである。
 バスとSバーンを乗り継いでたどり着いたリヒテンベルク駅もうらぶれていた。こちらは東ベルリンの主要ターミナルの一つだったはずである。駅構内は整理されてマクドナルドやスーパーもあるけどガランとしており、駅前にはくすんだ中層ビルと柄の悪い若者が屯している。気違いが騒いで警官に取り囲まれている。雨が激しく降っていたとはいえ、ひどくもの悲しい駅と思いながら、夜行列車に乗り込んだ。

 この時の印象が強かったので、ポーランドチェコとまわって一週間後にベルリンに戻ってきたとき、全面ガラス張りで中に巨大な吹き抜けを持つベルリン中央駅には驚かされた。できて3年しか経っていないこともあって、駅前は広大な空き地になっており、その向こうには同じくガラス張りの現代建築である首相府が大きく構えている。ポツダム広場のあたりも再開発が終わったばかりのようで、高層ビルが並んでいる。
 一方で、メインストリートであるウンター・デン・リンデンのあたりで目立つのは、高いドームが自慢の大聖堂、観光客が集まるペルガモン博物館といった歴史の重みを持つ建物だ。あとはやっぱり空き地と何を建てるつもりか並ぶクレーンである。

 もちろん、大都市であればいろんな顔を持つのが当然だろう。ましてや短期間でつまみ食いのように見聞する旅行者は、散漫な印象を持ちやすい。
 それにしても、ベルリンという街はちぐはくである。古いものと新しいもの、死にかけているものと生き生きしているものが、狭い中心部に限っても混乱している。ここ一世紀に限っても第一次大戦の敗戦と帝政から共和制への移行、ナチスの台頭、ソ連軍の占拠に東西分割統治、そして統一といった激変を、街はそのまま映しているようだ。