続・ヨーロッパ胃弱日記 その2

 一方、チェコプラハは、歴史を静かに積み重ねたような街だ。建物は同じような高さの石造り、屋根がレンガ色に統一されているので、誰かが一気に造りあげてそのまま残されたように錯覚してしまうが、見る人が見れば時代ごとの流行の様式が反映されているらしい。
 夜行列車を降りて、人通りの少ない通りを歩いていると、別の世界に引き取られて、自分が今ここにいないみたいだった。地球の歩き方に「美しさに息を呑む」とあるが、決して誇張ではなかった。たかだか1000万人の国の首都に、これだけ風格と落ち着きがあるのは信じられず、東京の醜さが恥ずかしくなる。僕らには「共産主義=失敗=貧しい」という固定観念が埋め込まれているが、こんな街並みを持つ国のどこが貧しいのかと、認識の浅さを自戒した。

 ただ、それほどの街なので、ヨーロッパ中から観光客が押し寄せる。(季節は夏、まして東ヨーロッパが解放されてからまだ20年経たない。)感動は頭数に反比例するというのが僕の持論なのだが、うっとうしい家族連れやら旗ふったツアー集団が押し寄せる時間になったら、もはやディズニーランドと変わらない。もちろん、僕も無責任な観光客の1人なので偉そうに言う筋合いはないが、中世気分を味わうのはもっぱら早朝にして、日中はビールを飲んでは頭の中でくだを巻き、観光スポットを点々とするにとどめた。なにしろビールの大ジョッキが安ければ20クローネ(100円)という国である。コーヒーはおろか、水より安いのだから、飲まずにいられないじゃないですか。そして、酔っぱらってしまえば、どんな混み合う観光地もすてきに思えるものだ。

 プラハにしても、今回訪れたチェコの小さな町・チェスキークルムロフポーランドの古都・クラクフにしても、町中にいると古い建物が残っていて当たり前だと錯覚してしまうが、ちょっと新市街地や郊外に出てしまえば日本と変わらない、今風のビルや一軒家の波である。彼らにとってもそちらの方が、美しくはなくても便利なのだ。にもかかわらず古い街を残そうとする彼の地の人びとを、呑気に訪れる我々は敬まわなければならないだろう。じっさい石畳の細い道を、観光客の乗った馬車がふさいで、後ろから軽自動車(旧東欧ではことさら多い)がノロノロついて行くさまを見ると、同情を禁じ得ない。