続・ヨーロッパ胃弱日記 その3

 ベルリン都心から郊外電車で二十分ほど、世界陸上が終わって、祭りのあとといった感じのオリンピック・スタジアムを観に行った。ヒトラーが威信をかけた1936年五輪にあわせて造られた会場であり、その時の様子は沢木耕太郎の『オリンピア』(集英社文庫)に詳しい。屋根を加えられたり改修を経ているそうだが、その大元となる部分は当時のまま、表面に石を張られた重厚さと、合理的なデザインの力強さに圧倒されてしまった。古代ギリシアの建築を摸した擬似古典様式、いわばまがい物であり、解説を聞いているとあちこちにナチスの狂気が潜んでいるのだが、逆に知らなければその美しさを讃えてしまうだろう。

 逆にポーランドクラクフ郊外のアウシュビッツ収容所は、芝生のひかれた並木道に整然とレンガ造りの建物が並ぶ、小さくて静かな空間だった。もちろんガス室や銃殺に使われた「死の壁」を見学すれば、ここで現実に集団殺人が行われていたことを理解できるのだが、『夜と霧』に描かれるような地獄を感じるには想像力がいる。歴史をひもとけば虐殺はたびたび起きたとはいえ、工場で何かを生産するように、淡々と、合理的に進められたのは初めてだろう。
 恐ろしい狂気の計画を、あくまで合理的に押し進め、皆にわかるような理念で飾り立てる。ナチスを貫くその近代性が憂鬱になるし、それは決して他人事ではないだろう。

 チェコの田舎へ行く列車のコンパートメントで同室になったおばちゃんたちは、見たところ五十代から六十代、するとナチス占領は経験していないだろうが、共産国家に生まれ、プラハの春ビロード革命を経て、EUの一員となったチェコの歴史を背負った人たちである。言葉が通じないので妄想するしかないのだけど、激動を生きてきた人たちを前にすると、ずいぶん違う人生があるのだなと思う。さて、僕たちにはどんな時代が待っているのだろう。