満州まぼろし旅行 その4

 長春(新京)は満州国の首都だったこともあって、関連の建物も多い。日本の国会議事堂に似た旧国務院が、看板は出ているのに入り口に瓦礫が積んであってどうやら改築工事中だったのは中国的ご愛敬(予告なしの休業や移転はよくあることです)として、軍事部、銀行、電信局など眺めると、ナチスの建物と一緒で、当時としてはお金をかけたのかもしれないが、いま見ると薄っぺらさと安っぽさを感じるのみである。
 中国の近現代の遺跡でチェックすべきは、説明板だ。たとえば、日本が関わっていれば、末尾は必ず「日本の植民地侵略の証拠である」といった文章で締められている。当時の政治的判断とは別に、日本人は中国人に対する一定の罪意を持つべきだと思っている僕に異論はないのだけど、どの案内文も同じ末尾なので、なんだか挨拶のように思えてくる。「本日はお日柄もよく…日本帝国主義の悪業でございます」政府もご苦労なことである。


 日本と同じく徹底的な悪者にされているのがラストエンペラー・溥儀である。長春にある仮御所には展示館があるのだが、悪口の限りを尽くしたという感じだ。仮にも中国最後の皇帝に対する敬意とか、歴史において過ちを犯した者に対する赦しとか、あってもいいのではと思うが、期待するのは野暮というものだろう。
 仮御所で目立つのは、溥儀の強烈な個性である。体が弱いといっては漢方薬の倉庫を設けたり、痔に悩んでいるため執務もできるトイレを作ったり、盗聴を恐れてはせっかく作った新しい宮殿を無視したり。女性関係に関しても複雑怪奇である。教科書的な歴史書では全然興味を持たなかったし、例の映画では随分わかりやすく描かれていたが、実物は底知れぬものを持った人物のようだ。彼の「わが半生」でも読んでみようかしら。


 逆にとにかく神格化されているのが張作霖・学良であって、特に学良は成安事件で国共合作を実現し、中国の勝利、ひいては共産党の勝利(この論理には無理がないか?)を導いたことが評価されているらしい。実際、満鉄ちがった列車の中で満州の歴史書を読んでいたら、学良の写真をのぞき見た中国青年が声をかけてきた。
 したがって瀋陽にある張家の展示は非常にというか、必要以上に充実したもので、どこから入手したのか台湾で蒋介石に軟禁されていたころのものまで集められている。一番気になったのが、死の直前に着ていたといわれる運動服つまりジャージである。グレー地に「UMBLO」と白いロゴが入っている。
 東北軍閥の雄となった張作霖の長男として生まれ、中国近現代史の荒波をくぐり抜けた彼が、僕らと変わらぬジャージを着ていたというのが妙にリアルだ。歴史は妙な形でつながっている。