思い立って信濃路紀行 中編

 関東、なかでも千葉の出身者は、山を知らない。南の半島部分にわずかに起伏があるとはいえ、一番高くてせいぜい標高408メートルの愛宕山である。一方、僕の育った八千代というところ(森昌子の歌った「八千代ふるさと音頭」というすてきな踊りで有名です)は関東平野に連なる下総台地に位置しているから、周りをいくら見回しても山の影すら見えない。春はあけぼの、ようよう白くなりゆく山際、なんて言っても、そもそも山がないのだから困ってしまう。
 したがって地形にはきわめて鈍感で、信州のように飛騨木曽赤石の三アルプスが背骨のように走り、八ヶ岳やら霧ヶ峰やら浅間山やら高い山々があちこちにそびえ、その狭間にあたる盆地や谷に人々が集まっているという土地では、町同士のつながりさえよくわからないのだ。
 県庁所在地である長野と第二の都市松本の距離は、わずか40キロほどである。歴史をひもとくとこの二市仲が悪く、松本の人たちは長野県から分離独立して新たな県を作ろうとしたこともあったという。のっぺりした土地に住む人間にはなかなか理解できないのだが、長野を中心とする善光寺平と松本を中心とする松本平は、まったく違う文化圏に属しているそうだ。

 松本から長野方面に出るには篠ノ井線を利用する。鮭氏と分かれて、ひとり鈍行電車に揺られていると、明科駅を過ぎたあたりから勾配が急になり次々トンネルをくぐり、峠越えに入ったことがわかる。冠着駅を出発すると、旧北国西街道の難所猿ケ馬場峠を長い冠着トンネルで抜け、眼下に広がる善光寺平を見渡す絶景に出会う。
 電車は姨捨駅に到着した。海抜547メートル、日本三大車窓の一つに数えられる名所だ。急ぐ旅でもないので途中下車し、スイッチバックから本線に戻る電車を見送ると、松本駅で買ったとりめしを食べる。野沢菜入りという中途半端なローカル感が、味じゃないですか。
 足もとから等高線のように細かく区切られた棚田が下まで連なり、先にある大河が千曲川、その向こうには善光寺平の田畑や集落が広がっている。朝のもやに覆われているが、かえって幻想的な光景で、自分が仙人にでもなったかのようだ。深々と呼吸して、二日酔いのアルコールを吹き飛ばした。

 そもそもここ姨捨に駅が設けられたのは、水が豊富で蒸気機関車の給水に適していたためである。駅を出ると「この上250メートル 名水桜清水」という看板がある。けもの道のような急坂を必死に登り、長野自動車道の下を潜ってさらに登る。息が上がる。ああ、早く水が飲みたい。そう心から思ったころ、水の流れ出す円筒が見え、その隣に張り紙があった。
「この湧き水は水質検査で大腸菌が検出されたため、生水での飲用はしないで下さい。」

 そばに立つ「天下第一泉」や「明治天皇御膳水」の碑が、むなしい。人の一生など幻の水を求めて坂を上り下りするばかり、なんて厭世的なことを呟きながら急坂を下ると、すでに長野行き電車が止まっていた。(続く)