サイゴン日記 その3

 熱帯の夜は、なんでこんなに楽しいのだろう。
 オープンカフェで生ぬるい夜風に身をさらしながら通りを眺める。共産国と思えないようなケバケバしいネオンが遠く輝いている。
 わずかなバス路線以外に公共交通の存在しないサイゴンには、「ベトナム・バイク共和国」を名乗らせたいほどホンダやヤマハがあふれている。路上では奇妙な三角関係が成立していて、少数派のクルマはクラクションをがんがん鳴らすものの、時速30km程度のバイクの群れに阻まれてスピードを出せない。圧倒的多数派のバイクだが、地下道や歩道橋は皆無、信号や横断歩道すらほとんど見あたらない歩行者が決死の横断を試みると、よけて走らなければならない。歩行者にとってバイクに遠慮する必要はないのだが、クルマは突っ込んでくるので気をつけなくてはならない。以上が組み合わさると、ただうるさいだけで、きわめて効率の悪い道路の一丁上がりだ。
 そんな流れをぼうっと眺めていると、だんだん不感症になって、街にに溶けてしまうようだ。他者が消えるというのは、自分もなくなるということで、実に気楽である。ビールがなくなってもオーダーを取りに来ることはないし、永遠にこのままでも許されそうだ。
 呑気なことを考えていると、音もなく空が光ったと思ったら、一陣の風が吹き、スコールがやってきた。ちょうど雨期の入りで、天気が不安定なようだ。
 屋根の外で喋っていた連中が殺到し、店内がざわつく。雲霞のようなバイクの群れはさっと姿を消す。確かにバイクという乗り物は雨には弱いので大変だ。なんて同情していたら、レインコートというよりビニールの布きれのようなものをまとって、奴らは再び現れた。あっという間に騒がしい街が戻ってきた。

サイゴン日記 その2

 感心している場合ではない。迷惑だし不便なので、現地人に化けてみることにした。
 日本から白い半袖シャツにGパンとスニーカーという出で立ちで到着したのだが、どうやら熱帯でその格好は目立つらしい。というわけでぼったくりで名高いベンタイン市場に出向いて、面倒な価格交渉の末にハーフパンツとサンダルを調達。バッグは安宿に放り込んでしまい、手ぶらで普段の速度の3割程度、やる気なさそうに歩くと効果てきめん、つきまとう輩は激減した。
 それでもタバコやガムの物売り、片足をなくした物乞いは声をかけてくるのだが、「ノー、サンキュー」などとまともに答えるのではなく、物憂い目でちらり一瞥するといなくなった。
 日焼けして、髪を現地の床屋で切ってもらえば、日本人らしさはさらに薄まるだろう。
 現地人にどこまでなりきるかというのは、短期滞在者にとってちょっとしたゲームである。中国や韓国ではそもそも見分けがつかないし(逆に現地人と間違われて道を聞かれたりする)、欧米だと風貌があまりに違いすぎてゲームが成立しない。この面白さを味わえるのは、東南アジアならではである。
 たとえ一時的ではあれ現地人になりたいというのは、日本人じゃない何かになりたいという現実逃避の一種なのだろう。日本の場合、圧倒的多数が同じ民族、同じ言葉という強烈なしばりがあるので、時々息苦しくなる。だから海外で国籍を蒸発させるのが気持ちいいのだ。

サイゴン日記 その1

 サイゴン滞在初日は、とにかく声をかけられた。
 午前8時半、9月23日公園付近。43歳のバイク乗り。「1時間5ドルで案内する。中華街のチョロンまで行ってみないか?」と日記帳らしきモノを取り出し、日本人観光客の書いた「この人は信頼できる」というコメントを見せられる。
 午後0時半、ベンタイン市場付近。シクロ(人力車風自転車)乗り。「バッグは前に持たないと危ない」確かにそうだがお前の方が危ないぞ。「ぜんぜん客がつかまらないから乗ってくれ。子供が2人いて大変なんだ」
 午後1時頃、再び同公園付近。40代の(自称)看護師。「今度仕事で日本へ行く。住まいやいろいろ相談に乗ってほしい」そうですか「ついては家族に紹介したい。このドルを日本円に両替してほしい」
 午後3時半、デタム通りのカフェ。ボーイのフォン君が「日本語を教えてほしい」というので、即席の日本語講座を開講。ノートに電話番号と”I see dabu very lovely give so I very like to dabu"という不思議な英語を書き残した。
 午後4時頃、三たび同公園付近。船上カジノに勤務するというフィリピン人。「俺は勝ち方を知っている。それを教えるから二人で儲けないか」ひと稼ぎしてそのまま世界一周というプランが頭をよぎった。
 午後7時頃、デタム通りのレストランで広東風チャーハンを食べながら一人ビールを空けていると、店の18歳の娘さんが前に座って話しかけてきた。「日本人のケイというボーイフレンドがいるの」肌は小麦色で目はパッチリ、美人が多いベトナム女性の中でもとびきりだ。彼がうらやましい。
 東京で見知らぬ人に声をかけられるなんて年に何回あるかということなのに、人懐っこいというか、よく声をかけてくるものだ。暑い国らしい陽気さというか積極性がうらやましく、その一割でも僕にあったなら、人生変わっているだろうに、なんて思う。

美しき島、麗しきテツの旅 その5

 台北・上海・香港・北京と、中華文化の都市を5年かけて集中的にまわり、再び台北に戻った。「中国が好きなんですか?」と問われれば、金と休みを使ってこれだけ足を運んでいるのだから嫌いではないのだろうけど、あまり楽しくもない。ただ、東アジアにおける日本の位置を考えるとき、圧倒的な引力を持つ中華とは何者で、どう距離を取っていけばいいのか、向き合わざるを得ないのだ。もちろん、短い見聞で語れることは、単なる旅行者の印象に過ぎないという留保つきで。


 これら都市を比較するにはいろんな観点があるだろうけど、いちおう得意分野(なはず)の書店を軸にしてみよう。本屋にはその土地の人びとが何を考え、何を求めているのか、頭の中身が暴露されているからだ。
 権力者がどんなに取りつくろったところで、人々は自分たちの脳味噌以上の本屋を持つことはできない。


 中国人はさすが文字の民で、北京・上海といった大陸の都市には、それぞれ王府井書店・上海書城といったメガ・ストアがあり、賑わいを見せている。彼らにとって「大きいことはいいこと」なので、圧迫を感じるほどの本の集め方だ。
 香港はあれだけ商店の多い街なのに、街の目立つところで本屋を見つけるのは難しい。看板を見つけて入ったら洋書の店だったりして、忙しい彼らには本を読む習慣がないのだろうか。


 一方、台湾を代表する書店が誠品書店である。1987年の戒厳令解除から始まった民主化の流れに乗ってチェーン展開をすすめ、今年で創業20周年、店舗は40を超える。選書センスの良さ、営業時間の長さ(敦南店などは24時間営業)、展示の巧さ、店内構成の大胆さが特徴といわれる。


 5年前には当時一番店だった敦南店を訪ねたので、今回は再開発エリアに2006年オープンした信義旗艦店へ足を運んだ。
 地下鉄の市庁舎駅から歩くこと5分。高層ビルの下層階に入っているのだが、まず1階がブティックや洒落たショップであることに驚く。駅ビルやデパートの上に書店があるのは珍しくないが、誠品は逆にあくまで書店の中のショップである。地下も同様。
 2階に上がると話題書や雑誌の売場だが、それにつなげて輸入文具やパソコン売場がある。3階は文芸書や実用書とイベントスペース(サイン会をやっていた)、4階は芸術書や音楽関連と雑貨、5階は児童書に絡めて教育玩具から子供服まで、6階はちょっと高そうなレストラン。総坪数7500坪、「生活博物館」を名乗るだけのことはあって、書店というより本を基軸にした百貨店である。これで経営が成り立つのか分からないけど、居心地いい空間で時間とお金をかけて買い物を楽しむという点では、世界の最先端だろう。


 このお店で印象に残ったのは、輸入書籍の取り扱いである。台湾で主に使われるのは中国語の繋体字だが、店内では大きなスペースを割いて、大陸で使われる中国語簡体字、英語、そして日本語の書籍が販売されている。日本語本のスペースは50坪ほどだろうか、「誠品日文書店」として、入れ子の形になっている。扱いは日販。
 大陸中国、日本、アメリカといった強力なプレイヤーたちと、うまくつき合わねばならない台湾の有様が現れているようだ。ただ決して不幸なことだと思わない。ほとんどが自語の書籍である大陸中国アメリカ、洋書といってもほとんど英語の日本と比べて、少なくとも4つの言葉で書かれた本が揃う売場こそ、本来的な意味での国際的だし、文化的だと思う。ものは中心にあるがゆえに貴からず。辺境ゆえの豊かさがあるのだ。


新都心の信義区を台北101からパチリ。誠品書店は写真上の高層ビル

 誠品書店のそばには、世界一の高さを誇る台北101があり、バカと煙は何とやら、30分待ちにも負けず喜び勇んで上ってみると、台北が山々に囲まれた都市ということがよくわかる。そして盆地の文字通り隅々まで街が広がっている。毛沢東の内戦に敗れて落ち延びた蒋介石にとって、台北などは仮寓にすぎず、発展して土地が足りなくなることなど想像しなかったのではないか。
 毛の北京と蒋の台北、どちらが巨大で伝統的かと問われればそれは北京だが、どちらが洗練され現代的かといえば台北である。二つの中華の都が対照的な姿をして共存しているのも、東アジアのおかしさであり面白さだろう。

美しき島、麗しきテツの旅 その4

 台湾を初めて訪れたのは、大学を出て会社に入るまえ、川は海に出る直前に流れをゆるめるが、ちょうどそんな時期であった。市の研修旅行でバンコクに行ったことはあったが、ひとりで海外に行くのは初めて。にもかかわらず十日近く滞在したのだから、勇気があったのか、よっぽど暇を持て余していたのか…
 それから5年が経ち、空港からのバスで四角い台北駅舎の前に立ったとき、懐かしさとともに、あいだに流れた時のことを思った。
  日が去り、月がゆき
  過ぎた時も
  昔の恋も 二度とまた帰って来ない

 ただ引用しただけで、そこまで叙情にひたる事情があるわけではない。


 歩いて覚えた街は体になじんでいるものだ。それは車の運転に似ていて、しばらく乗る機会がなくても、ハンドルを握れば取り戻せるあの感覚。たとえば台北駅前の忠孝西路は大通りで、向かいに渡るポイントがわかりにくいのだが、そういえばあっちの方に横断歩道があったよなと自然と足が向くのである。
 ふだん東京での生活で使う機会はないのだけど、脳に街の地図がしっかり描き込まれていて、それを再び取り出す感覚が楽しい。

 とはいえ、台北は都市圏人口が700万人近い大都会であり、地図の古びているところも多い。市民にとっては日々の変化でも、それが積もれば旅人にとって激変だったりする。
 前回の滞在で一週間泊まった安宿の南国大飯店の前に立つと、改装されてすっかり小ぎれいになっており、その名も「シティ・イン」に変わっていた。当時は一泊二千円ほどだったと思うが、今や六千円ほど、しかもシングルは満室だという。なんだか「いるかホテル」が「ドルフィンホテル」になったみたいだ。
 22歳だったころの僕は見知らぬ食堂に飛び込む勇気もなく、南国大飯店そばの弁当屋と果物の屋台を愛用していた(どちらも指さすだけで注文できる)のだが、いずれも姿を消していた。親切だったあのおばちゃんはどこへ行ったのか…。


てっきり取り壊されていると思った忠孝路の雑居ビルは健在

 今回持参したガイドブックは、5年前に使った「地球の歩き方」である。
 我ながらマメというか、地図のページにどこを歩いたかが線を引かれている。足で覚えるという旅のやり方は、何も変わっていない。
 台湾の夜といえば夜市、士林や松山が有名だけど、僕が好きなのは龍山寺の夜市である。他の夜市に比べて空いていること、日本語があまり聞こえないこと、アングラな雰囲気に満ちているところがいいのだ。さっそく店の前で蛇遣いがなにやらやっている。
 この夜市では、マッサージ屋が数多く店を開けている。ちょうど日本の床屋のような感じで、店内には10脚ほどのマッサージ椅子がずらり並んでおり、けっこう埋まっている。住民が選ぶ店なら大丈夫だろうと、その一つに入ってみた。足マッサージで40分1200円、日本語が通じる店の半額である。
 優しそうなおばちゃんが担当なのだが、しかし痛い! 観光客向けのマッサージ店は揉むというかさする程度のところも多いけど、ここは本気である。体のどこをどう押せばこんなに痛くなるのだろうと小さな叫び声を上げながら横を向くと、地元のお兄ちゃんも顔を歪めていた。おばちゃん片言で「イタキモチイイ?」
 翌日揉み返しはまったく起きなかったのだから、理に則っているのだろう。恐るべし台湾の按摩術である。

美しき島、麗しきテツの旅 その3

 表日本・裏日本という言い方があるが、台湾も発達しているのは島の西側で、首都の台北、南部の中心・高雄をはじめ、台中、台南など主だった街はすべて西の台湾海峡側にある。一方、島の東部は発展からやや取り残された格好だ。
 ただ、旅人にとって日本海側が旅情あふれる豊かな街であるのと同様、台湾の東部にも味わいがあるのではと思い、高雄発16時30分のディーゼル特急自強号で裏台湾への旅に出た。


 序盤、熱帯らしい椰子の密生林を眺めながら列車は走る。椰子の木なら宮崎あたりでも見ることはできるが、生え方が猛烈なのだ。その後、南方の坊山では、台湾海峡を望む区間があり、夕暮れに海と空が溶けあい、その狭間に一艘の漁船が浮きあがる絶景。
 トンネルで山を抜け、19時11分台東着。窓口で翌日の切符を買うのに手間取るあいだに、街の中心部へのバスは行ってしまい、開業時の岐阜羽島を思わせる何もない駅前広場に取り残されてしまった。結局、ポリシーに反しながらもタクシーで街に入り、ふらり入った安宿に泊まる。宿主のお爺さんは80歳近く、手は震えるものの日本語は達者「階段を上がり、扉を開けよ。」車代片道800円、宿泊費1500円には何も言うまい。気温30度とあって、かなり虫の襲撃にあったとだけは書き残しておこう。


 翌日、6時20分発の特急で再開。線路は海岸から離れ、崖のような山と山に挟まれた田畑の真ん中を走る。靄におおわれた山あいの村が、朝日に照らされる風景は幻想的。花蓮という石造りの大きな駅を過ぎてからは乗客も一気に増え、駅弁売りも車内を回り始める。長いトンネルの間に太平洋を眺めながら、10時20分宜蘭着。この街には日本統治時代の長官官邸や監獄跡、銀行の建物が残っており、散策にはちょうどいい。12時9分の急行で台北までおよそ2時間ほど。


 最近のにわか鉄道ブームで、国内のローカル線が注目を浴びているが、これから鉄道旅行を始めようという人にこそ、台湾の旅を薦めたい。大陸中国のように切符購入に格闘する必要もなく、韓国のように駅名のハングルに頭を悩ます必要もない。
 ツアーでも企画しちゃおうかな。
こういった旧型の客車はさすがに少ない
宜蘭駅舎、日本統治時代から残る古い建物も台湾には多い